- HOME >
- 毎日着物
足袋
第906号 2016年12月26日「足袋 No.12」
毎日着物を着用しているということは、毎日足袋を履くということだ。当然、朝履くわけだから、足がむくんでいることはないはずなのに、コハゼが留め糸に届かない。だから、引っ張って引っ張って、苦労して留める。
以前にも書いたが、私の足は、巾が狭く親指と人差し指の間が深い。足首も細いときてるから、既製品では巾も足首もダブダブ。それで、着物を毎日着るようになった時に、別誂(あつら)えにした。
それなのに、その足袋が窮屈になったのだ。糖尿病のせいで身体がむくんできたのか?しかし、足首を押さえてみても、そんな感じはしない。いろいろ試していくうちに、下から2段目くらいまでは外側の、上になるにつれて内側のフックに留めれば、きれいに履けるということに行き着いた。
靴下というのは、伸び縮みするからフィット感がありピッタリ収まる。そんな靴下がなかった時代、この『コハゼ足袋』を考案した人のアイデアはすごいと思う。
足の形は人によって様々だ。近年、ソックス型の足袋が販売されるようになったことにより、いろいろな型の足袋が少なくなった。綿100%に慣れた私には、多少窮屈でも、昔ながらの足袋が一番良い。
昔は、裁縫の練習で、足袋を縫わされたそうだが、現代は、針と糸がない家庭もあるそうだ。ボタンもチャックに変わりつつあるのかな?時代は変わる。
第849号 2014年12月8日「足袋 No.11」
きもの業を40年もやっていると、既成概念が強く、お客様の便利さよりも、足袋は綿でコハゼが付いているものだと思ってしまう。たまに、大人用でコハゼの無いソックスのような品がないかと尋ねられても、『そんなおかしなものは・・・』という気持ちから探すことさえしなかった。しかし、このたび、どうしても茶系のソックス調の品がほしいという要望があったので調べてみることにした。
自分自身が毎日着物だから、そういう気持ちにならない。それがいけないのだ。洋服を着用した時は、私もソックスだ。洋服を着ているのに足袋を履いている年配の方を見かけたことがある。それには、どこか不釣り合いな感じがした。子どもの頃から足袋に慣れ親しんでいる方は、足袋のほうが履いた時の感触が良いのだろう。
『着物はこういうものだ!』方式ではいけない。事実、子どもの足袋はソックス型が多い。そんな子どもが成長したら、ソックスが当たり前と思うのは当然。コハゼの止め方がわからないと答えるのが普通になる。こうやって新しい品に変わってゆくのだ。
知らないうちに、既成概念に縛られてしまっている。新しい物好きの発想で考えるのも悪くない。
第844号 2014年9月26日「足袋 No.10」
靴を購入する場合、『夕方は避けよ』と言われます。若い頃は、なぜかわかりませんでした。しかし、年を取るうちにそれを理解し、それ以後は、夕方に足袋を購入されるお客様には、交換についての話もするようになりました。
昔、別誂えの足袋の会というのをやっていた頃、交換してほしいというクレームがたくさんありました。私も若かったので、『今回の足袋職人は、測り方が下手なんだ。』と勝手に決めつけていました。その日の体調の変化で、足がむくんだりするということを知ったのは、自分が毎日着物を着るようになってからでした。
別誂えの会も、職人さんの減少で出来なくなってしまいましたが、足袋メーカーでは、現在もあらゆる足型に対応したいろいろなタイプの足袋を工夫しながら製造されています。足幅の広い人用、狭い人用、甲高の人用、足首の太い人用、ネル裏の足袋、ベッチン、色足袋等、着物好きのお客様には、足元のオシャレも楽しみのひとつとしてチャレンジしてほしいと思います。着物の楽しみも倍増するかもしれません。
第840号 2014年9月12日「足袋 No.9」
足袋のことを、No.8まで書いてきた。職人さんから見れば、私の書いたことなど間違いだらけで、底の浅いものだろう。もうネタ切れかと思っていたが、日々の商いの中で新たに知ることが時々ある。
先日、親指が長い上に爪が反り返っているため、通常販売している足袋では親指が痛いというお客様があった。たった一日だけ使用するといっても、足が痛くては演技に集中できないだろう。
私が普段履いている足袋は、昔、別誂えで作ってもらったもので、高額だが丈夫で履きやすい。しかし、今はそんな別誂えの足袋など作っているところはない。
困った末、問屋さんに聞いてみた。すると、あるメーカーが、そんな人のために親指だけ5mm長くした品を作っているというのだ。自分の無知を反省しながら、対応できる製品の発見に喜びを覚えた。
40年もきもの屋に従事しているのに、知らなかったり、わからなかったりすることがまだまだある。勉強が足りないのだな。
第826号 2014年7月1日「足袋 No.8」
足袋を履いたことがない人たちが、成人を迎える。
靴下は、洋服を着る前に履く人もあれば、最後に履く人もある。しかし、足袋は普通、着物を着る前に履く。その順番で着用したほうが、着崩れを防ぎ、着姿がきれいなのだ。
毎日着物を着ている私でも、たまに、足袋を履き忘れることがある。朝の支度は時間に追われ、最後に足袋をあわてて履くこともある。いつもと違い、着姿がカッコ悪いのではないかと心配になる。順番は間違えないほうがいいようだ。
毎日の習慣も同じだろう。朝起きたら、まず顔を洗う。そして、神様と仏様に手を合わせてから散歩に出掛ける。これが私の朝の習慣、『型』だ。
お茶やお花等の習い事は、先生から型を習い、柔道や剣道等の武道も型を学ぶ。それを習得しないと一人前にはなれない。何事も型から始まるのだ。それをしないと、一日が気分よく過ごせない。
足袋を履くというのは、着物を着るための初めの儀式なのかな?
第824号 2014年6月24日「足袋 No.7」
『一度しか履かないから、安い足袋は無い?』
現在、当店で販売している足袋の中で、一番安い品は1,200円(税抜)だ。外国製なら、もっと安価な品もあるのだが、『一度きり』と言われても、履いているうちに破れたりしても困るわけです。日本製は、サイズもきちんとしているし、縫製も良いので、外国製に比べると、少し高額になる。
振袖のレンタルは、セット価格に足袋も含まれているが、男性の羽織袴のレンタルには、足袋は含まれていない。以前は、それも含めたセットにしていたが、二度と履けない状態で戻ってくることが過去に何度もあったので、セットから外したのだ。
初めて足袋を履かれるお客様にとって、靴下と違って伸び縮みの少ない足袋は窮屈であろう。慣れてしまえば、これほど良い素材はないと思うのだが、そうなるまでには、少々時間を要するかもしれない。
せっかく着るのだから、できるだけ長い時間、着装を楽しんでいただきたい。そのためには、足に優しい足袋の研究が必要かも・・・。
足の裏健康法なるものがあるらしい。足の親指と人差し指で草履の鼻緒をはさむことは、体に良いという話を聞いたことがある。足袋を履くことも良いらしい。
第821号 2014年6月13日「足袋 No.6」
もっと早くに書くべきだったが、『足袋』と書いて『たび』と読む。以前、こんなお客様がいた。『着物を着た時に履く、白い布でできたソックスのようなもの』・・・足袋のことを言っておられたのだ。
我々の業界には、若い方にとっては難しい漢字が多い。これから夏に向けて、よく見かけるであろう『浴衣』(『ゆかた』と読む)が読めない方もある。半襟(はんえり)、長襦袢(ながじゅばん)、紬(つむぎ)等、業界人でも、読むことはできても、書くことができない人が多い。それだけ、なじみが薄くなってきているのだ。
足袋のサイズにしても、私のサイズである25cmは、昔は十半(『とおはん』と読む/十文半『ともんはん』のこと)と言ったものだ。女性なら、九三(きゅうさん)から九八(きゅうはち)が多い。今のサイズでいうと、22cmから23.5cmのことだ。
現在は、商いでも、ほどんどセンチを利用する。私より年齢が上くらいの方にしかわからない世界になりつつある。例えば、九半だど22.5cm、九七だと23cmというように、文数の寸法表示と現物のサイズとが違うように思われる。いい加減に見えるが、それで時代が過ぎてきたのだから良しとしよう。センチでは、きちんと0.5cm刻みなのにね。決められたことは、覚えるしかないのだ。
・・・
≪追記≫
足のサイズは、昔は、文(もん)で購入される方が多かったが、メートル法に変わり、センチで注文されるようになった。文でも、10進法で、サイズの間違いはない。この他にも、長さの単位では、着物は、尺(しゃく)、寸(すん)でチェックするし、重さでは、貫目(かんめ)とか匁(もんめ)でチェックする。日本独特の計測法であり、それをメートルやグラムに変換すれば、当然、小数点が出るわけです。両方を使い分けるのも難しいですね。
第813号 2014年5月16日「足袋 No.5」
日本の伝統文化を学ぶため、とかで、今、小学校では、着付を習うらしい。そのため、4月末から5月にかけて、ゆかたを買いに来られるお客様が多かった。足袋も履くということで、コハゼの付いた足袋も買っていかれた。
普段、21cmの足袋は、あまり置いていないのだが、今回は運よく在庫があったので対応できた。支店でも、同じようなお客様があったので、これからは、在庫を持たなければいけないと感じた。
正直屋では、21.5cm以上の大人用の足袋は、少しポリエステルの入ったものを販売している。しかし、21cm以下は、伸縮性の少ない綿100%のものしかない。それで、今は、小さいサイズだと、コハゼの付いたものより、ソックス型を希望されるお客様が多い。子どもは、すぐに足が大きくなってしまうからだ。コハゼの付いた商品しか置いていなかった時代は、少し大きめのものを買っていただき、指先に綿を詰めるなどして履いていただいた。
履きなれないものを履かせるということは、これからの成長にどのような影響を与えるだろうか?2020年には、東京オリンピックが開催される。少なくとも、それまでに、子どもたちが、日本の文化をもう一度見直しておくことは、良いことだと思う。両親や祖父母との会話も増えるであろう。子どもに視点を置き、義務教育の一環として考え、見つめ直すことは、これからの日本人に良いヒントを与える。
第811号 2014年5月9日「足袋 No.4」
ずいぶん前になるが、山本寛斎(カンサイ)が作った足袋を履いていたことがあった。
当時、取引していたIという問屋さんが発注した商品で、ブーツのように膝(ひざ)近くまである、紐で結ぶ長いタイプの品から、3枚くらいコハゼのついた短いタイプの品まで、種類もたくさんあった。白地のサラシ裏や、黒の繻子(しゅす)が主流になりつつあった時代に、濃紺色を本草木染で染めた、厚地の商品だった。
オシャレなところが、個人的には好きだったので、最終的に残った24cmから25cmのすべての商品を引き取り、いろいろ楽しんだ。50歳前後の頃だったと思う。
カンサイの品では、袴も購入し、着用した。馬乗(うまのり)袴で、生地は確かウールだったと思う。私は面白がって着用していたが、他人からは、やめた方がいいと言われ、いつの間にか着なくなってしまった。いつか、また、取り出して着てみようと思う。
足袋にも、いろいろな品がある。現代は、ネルもベッチンもあまり履いている人はいない。着物好きの方には、足元のオシャレとして、面白い品々を楽しんでほしいと思う。
第810号 2014年5月6日「足袋 No.3」
足袋を選ぶ際、問題となることの中に、足首の太さがある。市販されている足袋だと、コハゼがはまらない方があるのだ。それは、ふくよかな方に多いのだが、中には、まったくコハゼがはまらない方もある。事前にわかっていれば、『ゆったり型』を用意しておくのだが、それでもはまらないお客様もあった。さすがに、それには困ってしまった。そういう時は、別誂(あつら)えするしかない。
現在、販売されている足袋は、4枚コハゼが多い。踊りなどをされている方の中には、5枚コハゼがいいと注文される方もある。コハゼを増やして、足首の部分を長くすることにより、足首を見えなくするのだ。私は、足首が細いので、5枚コハゼを履いている。正座をした時、足が圧迫されてしびれやすいのだが、そんなことにも、もう慣れてしまった。
足袋は、やはり、履いている感覚が、靴下とは違う。私のは綿100%なので、履くときはきついが、フィット感が心地よい。足袋を購入するなら、夕方は、足がむくんでいるから、やめた方がいい。綿100%のものなら、靴よりも0.5cmくらい小さいものを選んだほうが、履いた姿が美しい。
正直屋では、初心者用、一度しか履かない方用に、ポリエステル等が30%入った少し伸びるタイプの品を取り扱っている。慣れていない方でも、足が痛くならず、快適に過ごせると思う。
第809号 2014年5月2日「足袋 No.2」
私の足は、巾が狭く、親指と人差し指の間が深く、おまけに足首が細い。だから、一般に売られている既製品を履くと、決まって親指の部分から破れる。それで、毎日着物を着るようになった頃から、別誂えで足袋を注文するようになった。
いろいろなメーカーで作ってみて、現在の足袋屋さんに落ち着いた。あれから20数年が過ぎた。何足注文し、何足履きつぶしてきただろうか?
穴が開いても、そのまま履いていたら、みっともないからと言って、母さんが裏地に帯芯を付けてくれた。裏生地に穴が開くだけで、他はどこも傷まない。さすが、別注品は、縫製も良い。
私の穴は、親指の裏だけだから、初めは、その部分だけの修繕でよかった。しかし、そのうち、裏全体を張り替えることになった。すると、新品同様になってしまった。帯芯を張るわけだから、滑りやすい。でも、柔らかくて気持ちがいい。
お年寄りのお客様に、そんな話をしたら、『私たちの年代は、皆、自分で足袋を作ったものよ。』と言われた。着物と同様、足袋も、何度もリフォームして、使用していたのだと教えていただいた。
第787号 2014年2月7日「足袋」
90歳のおばあちゃんから、『ベッチンのエンジの足袋が欲しい。』と言われたお嫁さんが、当店に訪れた。
当然、店に在庫は無い。現在、店の人間で、そんな足袋があることを知っているのは、私と女房くらいだろう。
以前、小紋の生地を使用した、オシャレな別誂(あつら)えの足袋を作る、というキャンペーンをしたこともあった。白のネル裏の足袋すら知らない若い子たちに、そんな遠い過去の話をしても、通じるわけがない。
昔は、着物と同じように、足袋も四季に応じて替えたし、普段用、正装用、オシャレ用と履き替えては楽しんだ。
現在、別誂えで注文すると、2~3週間かかるそうだ。しかし、未だに作っているメーカーがあるということは、生地もあって、注文も少しはあるということなのだろう。
こんな話を聞いたら、今まで、そんなことを知らなかった若い着物ファンも、作ってみようかと思うかもしれないね。一度、チャレンジしてみたら?
成人式も、白ばかりではなく、いろんな足袋の人がいたら楽しい・・・がね。
単衣の魅力
第812号 2014年5月13日「単衣の魅力 No.12」
5月に入り、暖かくなってきました。
2年間着用できなかった結城の着物を、今年こそは着なくてはと思い、2・3月くらいから、母さんに、そのことを言い続けた。5月の振袖21グループの例会の日に、念願かなって着装。今年初めての単衣なので、寒かったら辛いなぁーと、2~3日前から天気を気にしていたが、そんな心配は無用だった。暖かな2日間だったので、上着に絽(ろ)の黒羽織を着用した。『着るのがもったいない・・・』と、ずっとタンスの中で眠らせていた着物。誰からも、そんな着物を着ているとは気づきもされなかった。
その日の会合は、代表世話人として、少しイヤな発言をしなくてはいけなかったので、気が重かった。『結城』を着ることで『勇気』をもらおうと、語呂合わせの縁担ぎをした。
イヤな発言というのは、会員の中にルールを守らない方がいるため、しなくてはいけない話だった。会を運営していく上で、会則を守るのは、当たり前のことだと思う。自分の店も、そのルールを守っていけるかどうか自信はない。もし、守れない時がくれば、自ら退会願いを出すつもりだ。今後、どんな意見が出るか、良い方向に進んでいってほしい。
さて、単衣の着物の話に戻そう。誰にも気づかれずに、会は終了。名古屋に向かう新幹線に乗っていると、隣に座っていた男性から『いい着物ですね・・・』と言われた。若い男性だったから、商品を知っているのかどうか?だが、私には、嬉しい一言だった。早い時機に、また着用したい。
第756号 2013年9月24日「単衣の魅力 No.11」
もうすぐ10月だというのに、浴衣の反物を購入したいというお嬢さんが来店された。
10月15日に着用したいというので、それに間に合わせなくてはいけない。昔なら2日で縫ってくれる仕立屋さんもあったが、現在は、至急を嫌がる加工屋が多いので、最低1週間から10日いただいている。着物屋としても情けなく思う。
そんな話をしていたら、『自分で縫う』と言われた。『えっ?縫ったことあるの?』 『ええ、一度だけ・・・』 そんなで仕立て上がるのかな?と思いながら話を続けていると、『ミシンで縫うから・・・』とのこと。それならやれるかもと思い、『もし、やれないようなら、当店にご相談くださいね。』ということで、購入していかれた。 こんなお客様もあるんだ。
その後、電話で、『一度、水に通したほうがいいと聞きましたが・・・』との質問があったので、『綿素材は縮むので、そうするといいのですが、購入されたのはコーマ生地だから、ほとんど湯通しはしませんよ。』と答えた。よく勉強されている。これなら心配なさそうだ。うまく仕立て上がるといいですね。
朝夕は、少しずつ秋らしくなってきました。今秋こそ、1枚だけ持っている単衣の紺の結城紬を着るぞー。
着物っていいね!
第746号 2013年8月20日「単衣の魅力 No.10」
木綿(もめん)は、江戸時代に輸入された。他の繊維と比べ、安価で丈夫で暖かいことから、すぐ日本中に広まった。
愛知県では、蒲郡や西尾地区の三河木綿が有名だ。きもの業界では、三河芯として、帯芯によく利用している。組織を工夫し、もっと丈夫にして柔道着に利用したり、バッグ等にも使用されている。
他に、愛知で木綿を利用したものといえば、やはり有松絞りだろう。これは、有松の宿場で、布巾(ふきん)に絞りを入れたことから、手ごろな土産物として人気となった。その後、浴衣や絹の着物にも絞りを入れるようになった。軽いしコンパクトに収納できるので、お伊勢参りの土産としては、最高のものとなった。近頃は、職人さんの高齢化や、安価な外国産が入ってきたりで、作られる数が減り続けている。日本の文化を残す意味でも、絞りに興味を持ち、アートの分野や、洋服でも和服でもいいから着るものとして、またはその一部としてでも生かし、残していける道を作ってほしいと思う。
第744号 2013年8月9日「単衣の魅力 No.9」
前回、着物に季節感のない柄付けをしている話について書いた。季節のある着物は敬遠されるわけだ。レンタル屋さんはこのあたりのことを考え、季節感のある着物を貸出しするなどの特徴を出せば個性的だ。後日、写真を見た時に、桜だったら『そういえば、このお嬢さんは4月初めの結婚だったね。』とか、アジサイなら『6月か!』とか、その時の思い出が蘇る。夏なら、トンボ、風鈴、鮎とか夏らしい柄でまとめてほしいね。
さて、話は変わるが、先日、『浴衣のレンタルある?』という電話があった。この2~3年、こんな電話が多くなった。祇園祭も終わったが、京都駅には着用後のプレタ浴衣が捨てられているという話を聞いたことがある。安価なセットを購入し、その日だけ楽しめればいいという考え方が現代なのか?
当店では、購入者には今夏中、何度でも着付無料というキャンペーンを開催している。利用していただきたい。
第743号 2013年8月6日「単衣の魅力 No.8」
先日、お客様からの問い合わせで、『7月末の結婚式の際、菊の柄の訪問着はダメですよね?』というのがあった。『7月末に合せを着るわけですね。』・・・こういう質問は実に困る。基本的にはダメに決まっているからだ。
会場の空調設備の発達で、四季がなくなってしまった。真夏なら、本来、絽の訪問着を着なくてはいけない。黒留袖も、夏用の絽のものがあるが、ほとんどの方は冬用を着用されているのが実情だ。その場で着て、用が済めばすぐに脱いでくるのだから、冷暖房が整っていれば季節など考える必要はないわけだ。我々業者も、いつの間にか夏物の存在を忘れてしまっていて、年中、冬物を販売するようになってしまった。礼服は、年にそれほど着用するものでもないから、昔でもレンタルは多かった。夏の葬儀に、冬物を着装される方はいないと思うが、時期的にはそうも言えない場合もある。
7月末の結婚式の席に、菊の柄の合せ着の訪問着を着るという話、結局どうされたのかはわからない。ただ、時期を考え、質問されてきたその方の感覚について、我々業界人はもっと真剣に考えなくてはいけないと思う。季節感のない着物が、最近特に多い。お祝い着は、いつでも着られるよう四季の花を付ける。特定の時期のお祝いのためだけに別誂(あつら)えする。それは、やはりおしゃれの基本だと思うのだが・・・。
第742号 2013年8月2日「単衣の魅力 No.7」
単衣の着物というと、浴衣くらいしか思いつかない方が多いと思う。卦(け)の日に着用する場合、盛夏に絹をというのなら、紗の着物や絽小紋、それ以外の時期なら、単衣の紬や小紋になる。織物(先染の着物)の産地は日本中にあるが、有名なところでは、十日町、塩沢、小千谷、村山大島、結城、西陣、本場泥大島等々。常に着用される人が少なくなり、着る物から持つ物・見る物に変わってきた。普段に着装されている方からすれば、いろいろな産地の風合いを楽しむことができる。これからは、我々が、きもの文化を残すのか、残さないのかを決める年代に当たる。着ない物は結局は消える。
さて、女物のことばかり書いてきたが、男物はどうか。種類としては、女物以上にある。なぜなら、日本は男社会で成り立ってきたからだ。例えば、江戸小紋は、かつては裃(かみしも)小紋から生まれ出たものであり、その柄を見れば、どこの生家の者かがわかる。つまり、紋と同じ意味合いで作られたものなのだ。これも必要がなくなれば、着用しなくなり、そうなれば消える。幸いにも、時代の変化の中で、女性用として、この何十年と無地着物の代用として着用されたり、おしゃれ着として生き残ってきた。日本人の感性は、すばらしい。
時代の進歩は早い。早いから、知らない間になくなってしまうものは多い。残したいものばかりなのに・・・。
第740号 2013年7月26日「単衣の魅力 No.6」
今までに、すでに先人たちがやってきたことだが、浴衣の着装に個性を出すには、帯結びに工夫を凝らすこともひとつの方法だ。呉服屋や美容院で着付けてもらう人も多いと思うが、蝶結びにするなら、片方の羽根が少し大きくなるように結んだり、垂れを片方だけ長くしたり、羽根の上に髪飾りを付けたりするのも可愛くて良い。両面使用できる半巾帯なら、少し折り曲げて違う色を出すと、また違った感じになる。いっそのこと、思い切って前結びはどうか?前にも後ろにもポイントをつける方法も考えられる。結び方に変化を加えたら、今まで誰もしたことのない帯結びになるかもしれない。考えるだけで楽しい。前回にも書いた『大人の雰囲気』で迫るなら、紗八寸帯も洒落ている。ちょっと清楚な感じで着こなしてほしい。
合わせ方も難しいけど、色だけで目立たせるなら、無地一色の浴衣なんていうのはどうだろう。これは、別染をしなくてはいけない。色を決めるのも難しいので、今からというわけにはいかない。ただ、注染や型染とは違うから、1反でも染められ、色さえおしゃれなら結構いけるかもしれない。(まだ経験したことはない)一度チャレンジしたいなぁー。濃いグリーン?いいねぇ。背中や右肩に大きく(5cmくらいかな?)刺繍で1柄入れようか?おっ!いいねぇー。
第739号 2013年7月19日「単衣の魅力 No.5」
近ごろ、浴衣の着装姿が『オシャレだね!』って思う人が多くなった。ヘアーメイクでスタイルを変化させたり、髪飾りをポイントにしたり、夏らしい工夫が良い。
今年の正直屋お勧めの、他人とは違ったおしゃれは、紗の半巾帯。これは、デパートやショッピングセンターでは、あまり見かけない商品で、見た目にも涼しく映る。
帯揚げや兵児(へこ)帯を使用した着方は、数年前から見られたが、今年は、帯締めを利用する方も多い。
『わっ、大人!おしゃれ!』と思わせるには、粋にすること。だが、これは難しい。その人のセンスや個性が問われる。バランスが悪いと、『ダサい!』ということになってしまう。
下駄(げた)も、近ごろは、靴擦れしにくいものが出てきた。巾着をポイントにされる方もある。
可愛くするか、大人の雰囲気でせまるか、その日の気分で遊ぼう。いろいろ勉強してください。個人的には、満艦飾のド派手より、ちょっと粋なスッキリ系が好きだけど・・・。
第738号 2013年7月16日「単衣の魅力 No.4」
今年の夏は、本当に暑い。35度が何日も続くと、夜は寝られないし、昼もクーラーの中に一日中いるので身体がだるい。
ただひとつだけありがたいことは、浴衣がよく売れることだ。近ごろは、プレタ浴衣が主流だが、やはり、仕立上がりの品よりも、別誂(あつら)えのほうが、身体にフィットして、着姿もきれいだ。本店では、反物での販売が多い。インターネットなどでは、プレタ浴衣は2,000円くらいからがよく売れているそうだ。時代の流れだから仕方がないが、たくさんの人に着用していただきたいと願っている。
最近は、化学繊維でも水分を吸収する(つまり汗を吸う)品もあり、特に日本製はブランドや素材を工夫することに力を入れて、値段の安い外国産に対抗している。商いも、大店では『きもの売場』ではなく『水着売場』に変わった。蝶・水玉・鮎・すいか・風鈴・団扇(うちわ)・紫陽花(あじさい)・メダカ・蛍(ほたる)など、懐かしくて季節感のある柄で日本の夏をこだわる。『涼しそう!』と言わせるスタイルは、この暑い日々、目に優しい。
第737号 2013年7月12日「単衣の魅力 No.3」
浴衣といえば藍染。藍一色のものや、白地に藍色の柄の入ったものは、飽きがこないので人気が高い。帯を替えることで、長年にわたって着用でき、おしゃれも楽しめる。すっきりしているので、暑苦しく見えない。
そんな藍染の浴衣に、トンボやひまわりの柄が染められていると、季節感も出て輝く。花火や金魚、朝顔、波など、日本人は着物の色や柄で目を楽しませ、夏の暑さを凌いだ。お祭りでは、その地域の人たちで、揃いの柄を染め、豊作を願い、恵みの雨を願って踊った。
生地の工夫として、綿の糸に麻や絹を入れたりした紅梅(こうばい)という織り方がある。肌にサラッとして、とても気持ちがよい。また、織りを工夫した羅(ら)織とか、紗(しゃ)や絽(ろ)とか、涼しく感じさせるために、透けて見えるような織り方もある。
着物文化の歴史は古く、過去の日本人の感性は、夏の暑さを楽しんできたようにも思われる。現代は、エアコンの普及で、暑かったり、寒かったり、ジメジメしたりという、その時々の気候を常に体感することはなくなってしまった。この夏、昔の生活を一度体験してみるのも、楽しくていいかもしれませんね。
第736号 2013年7月8日「単衣の魅力 No.2」
以前にも、単衣の着物のことを書いた。
単衣といっても、素材は、ウールもあれば、綿やポリエステルなど多種ある。着用すればわかることだが、気温が30度近くになると、ウールでは暑い。だから、単衣を着る時には、素材選びがポイントになる。温度や湿度、風の具合で寒く感じたり、暑く感じたり、部屋にクーラー等が入ると、また変わる。一日中、店にいる日もあれば、従業員と外回りをする日もある。『今日は、どの着物にしようか』と考えるのも、楽しみのひとつだ。
お客様で、着物の好きな方、興味のある方、よく勉強されている愛好家からの意見は恐い。上手に褒めてくださる方もある。今ごろの時期は、難しい。だからこそ、おもしろい。私自身の着用の楽しみでもある。
濃い色から白っぽい色に変わると、やはり夏らしくなる。涼しく感じさせるのも、それなりに工夫がいる。しょせん着るものなのだから、自分感覚でいいと思う。綿や絹、麻、上布の生地選びから、色や柄を楽しむのも、着物の魅力です。
第717号 2013年4月26日「単衣の魅力」
日々暖かくなってきています。鶴舞公園では、白やピンクや赤のツツジがきれいに咲き誇っています。朝のラジオ体操に行くにも、薄いトレーナーでよくなりました。
そろそろ、着物も単衣を着用してもよい時期がやってきます。本当に着物の好きな方は、単衣が一番きれいとおっしゃいます。私のお客様の中にも、塩沢紬の白地ばかりを着用されていたKさん、小千谷紬のやわらかさがお気に入りだったYさんがいらっしゃいました。一旦好きになると、特定の産地の品や、あるメーカーの品ばかりを結局は選んでしまうということはよくあります。私も毎日着物姿ですが、選り好みが出来るような身分ではないものの、すべりの良い大島紬は大好きです。験(げん)を担(かつ)いで、『この着物には、この角帯を巻くとよく売れる』などと角帯や兵児(へこ)帯を替えて締めています。
盛夏までの一期間、単衣の着物の魅力を十分に堪能していただきたいと願います。ある雑誌社の編集長が、『私は3シーズン単衣よ!』と言って、業界の人に勧めておられましたが、普段は冷暖房の効いた室内で過ごし、移動も車という方なら、そういった考えになるかもしれません。暑い、寒い、湿気の有無など日本人として四季を楽しむ姿勢で考えるなら、季節ごとに、合せ、単衣、夏物の着物を着用することは普通のことと思います。暑い夏は汗をかき、寒い時には着重ねすることで日本人は生きてきたのです。
きものお手入れ(悉皆)
第944号 2019年11月20日「柄染め」
別誂え染めで一風を成した京都のH社が廃業し、それを受け継いで見本帳を流し、商いを続けてきた店が、令和1年末をもって柄染めをやめるとのこと。悉皆業で中小の呉服店は商いを続けている。その商いの中で、結び糸の販売から柄染に至る商い、また柄染の染替えの商いは、大きな売り上げの主たるものだ。
最近は、洗い張りから仕立直しをされるお客様もわずかになった。毎日着物を着用するような方は、大好きな柄の着物や、親や友人から譲り受けた思い入れのある着物を作り直しては楽しんでいる。それは着用者にとってはかけがえのない一枚なのだが、そんな楽しみを抱く人たちも少なくなった。それよりも、母の遺した着物を高く買ってくれる業者はいないか?と尋ねられることのほうが多くなった。悲しい話だ。
年配の方からかかる電話は、現在生産されていない商品のことばかり。たまに現物があって、その値段を示すと、時代背景のズレた値段を言ってくるから話にならない。そして、そんな方は、また2~3年すると同じ電話をかけてくる。
昔は、良い品がたくさんあった。そして、業者は喜んで物作りをしていた。生産して、それを喜んでくれるお客様の元に届き、楽しんで着用してくれるのだから、やはり嬉しい。そんな商品が、現在は古物商によって何百円で取引されている。
先日テレビで、中小企業は昨年46,000社が廃業したという報道があったが、我が業界の廃業も、その中に多数含まれていると思う。年老いたからという理由からのリタイアではない・・・愚痴を言っても始まらない。現在の日本は、そんな風なのだから。
さて、着物好きが着物を探す一案として、やはり着物好きの業者を探すことだ。古着の中から着られる品を探し出し、今の古着屋とは違った商いをされる店(どこかにあると思うが・・・)、よほどの目利きがそんな品を集めたら、楽しい商いになるだろう。古着でも結城、本場大島、紅型染、黄八丈、塩沢紬、小千谷紬、久米島紬、加賀友禅、有松絞りの専門店。考えただけでワクワクする。
第938号 2019年5月22日「シミヌキ」
着物の販売をしていて、シミヌキの苦情が多いこと、そして、その仕事に対する理解が低いことを残念に思う時がある。
昭和40~50年代の、まだ毎日着物を着用している人がいた頃は、シミヌキというのは、シミによって使用する液を使い分けるなど、特殊な知識と技術を要する仕事だということを知っているから、『少し高いな』と思っても、請求金額に対してクレームをつけてくるような人はいなかった。
平成の時代に入り、特に感じるようになったのだが、着用機会が減ったことにより、プロに近い着物好きが少なくなった。いい加減なプロが、シミの程度も調べずに、適当に安価な値段を言う。それを聞いた着物のことをよく知らない方が、着物屋に持参してみると、あまりにも請求金額が違うことにビックリして苦情となる。
クリーニング屋さんのするシミヌキと、プロの悉皆(しっかい)屋のするシミヌキとでは、まったくの別物なのだ。私は、いつも病気に例えて説明するのだが、初期の段階で病を見つけて治せば、軽い治療で済むし、完治もする。しかし、遅れれば治療も大変だ。費用も高くなる。シミは病と同じなのです。
我々着物屋は、シミヌキをする職人さんを信用して依頼するわけで、その方が請求する金額が高額であれば、それだけの理由があってのことだと思う。
日々着物を着用されている方は、簡単なシミならベンジン等を使って自分で取っていた。これまでの経験から、専門業者に頼むべきシミなのか、自分で落とせるシミなのか判断していた。もちろん失敗することもあっただろう。そんなことを繰り返しながら勉強し、安価で上手に着物を利用してきた。だから、収納にも気を配る。適度に風に当てて湿気から守る工夫もする。
『高いわねぇ!』と着物のことを知らない年配の方からの苦情は一番悲しい。着物を大切に着用してほしい。そして、着物好きの若者をもっと増やしたい。絹素材とのつきあい方を理解してもらいたい。
第937号 2019年4月30日「悉皆(しっかい)」
悉皆の仕事に、作り直し(リフォーム)があります。
単衣(ひとえ)を袷(あわせ)にしたり、サイズを変えたり、表で使用してしていた生地を洗い張り後は裏にしたり、上前で使用していた生地を下前にしたり、お父さんが着ていた着物を子ども用に仕立て直したり。そんなことが出来るのは、直線縫いだからです。
ただし、両面使用できるのは、糸を染めてから(先染め)織った品、つまり紬(つむぎ)と呼ばれる製品です。普段着とされてきた品ですから、丈夫でなくてはいけません。だから平織で織られています。天然染料を使用したり、耐久性を高めるために糸を泥につけたり撚糸にしたり、産地ごとに工夫して作られてきました。
日本人が、普段着物を着ない洋風化した生活に変わっていった現代でも、伝統的工芸品として守り作られ続けている産地もあれば、もう作るのをやめてしまった産地もあります。また、趣味で作っている人があって、少量ながら生産されている産地もあります。
このように試行錯誤を重ねて作られてきた品が、悲しいことに、今や日本人の各家庭の箪笥(たんす)の中で、ただ眠っているのです。金額にしたら何十兆円もの箪笥在庫となってしまっているのです。そして、それを安価な値段で処分している日本人がたくさんいます。本場結城紬などは、風合いが綿によく似ているので、譲り渡す人にきちんと説明しておかないと、高価なものとは知らずに、着用もされないで処分されてしまいます。
貧しかった日本人が考えて作り出した着物が、当時は何度も作り直して着用されてきたのに、裕福になった今では、その価値も知らないで平気で処分されていく。着物の欠点は、直線縫いであるがゆえ、上手に着用するには着慣れなければいけないというところです。これさえ克服すれば、どんなところに着て行っても、褒められることはあっても貶(けな)されることはないでしょう。
今日で平成が終わります。来る令和では、もっと着物を楽しみましょう。昔から受け継がれてきた日本人の財産です。
第819号 2014年6月6日「きものお手入れキャンペーン No.3」
ウールの仕立てを頼まれ、預かってきた。ウールの仕立ては久しぶりだ。お祝いでいただいた品だそうだが、娘さんでもお母さんでも着られそうな縞柄だ。現在、着付の練習をしておられるとのこと。今から作れば、秋にはじゅうぶん間に合う。
キャンペーン期間中だから、多少安価で仕立てられるので、ちょうど良いタイミングだった。海外仕立てのほうが安価になるだろうと思い込み、そちらをお勧めした。しかし、業者に聞くと、現在は、絹でもウールでも仕立代はそんなに大差はないとのことでビックリした。昔の感度で、安易に勧めてしまった私のミスだった。結局、日頃お願いしている仕立屋さんに無理にお願いして作ってもらうことにした。母さんからは、そんな基本的な失敗はいけないと叱られた。
昔は、ウールや浴衣は、それらの品だけ専門で縫う仕立屋さんがいた。絹の半額くらいの加工代だった。日頃、着物を着用する方が少なくなって、晴れ着しか販売しなくなり、仕立自体の需要も減り、そして、仕立屋さんも高齢化で一人減り、二人減りしていった。
私は、毎日着物を着用している。現在は、サマーウールを着て、これからは、浴衣も着用する。
キャンペーンをやってはいるものの、洗い張りも、20~30年前と比べたら少なくなった。そんな中で、お客様からの依頼があると、とても嬉しくなる。『着物っていいね。』と言ってもらえるよう、もっと努力しなくてはいけない。
第802号 2014年4月4日「きものお手入れキャンペーン No.2」
『きものお手入れキャンペーン』が、この4月から始まりました。今年で3年目となるこの企画、これまでと違うのは、8%の消費税が加算されるということです。普通でも厳しい中、中小企業にとっては、いっそう厳しい環境になるでしょう。
手間賃も上がります。特に、シミ抜きは、手入れに出すよりも、新しいものを購入したほうが安い場合もあります。でも、そんな品に限って、記念の品だったり、思い出のある品だったりするのです。
私は、普段から折に触れ、『シミは病気と同じです。』と言っていますが、糖尿病や高血圧のように、自分の不摂生から症状がひどくなるシミもあるということです。
湿気の多いところで保管したり、汗をかいたのに陰干しもせず仕舞ったり、汚れたことを知っていながら、そのまま放置したりして、後日、あわてて持参される方があります。早く処置しておけば、きれいに直ったのになぁ・・・と、そんな時は、自分の持病のことと重ね合わせたりします。自分の仕事に置き換えると、とてもよく理解できるのですが、『後悔先に立たず』ですね。
着物を長く愛用するためにも、この機会に一度箪笥の中を覗いてみたらいかがでしょう?ご両親が愛情込めて作ってくれた着物たちを見れば、懐かしい思い出が蘇ってくるかもしれませんよ。そして、ぜひ手を通してやってください。着物が生き生きとしてきますから・・・。
第726号 2013年5月31日「きものお手入れキャンペーン」
現在、『きものお手入れキャンペーン』中です。シミ抜き、染め直し、裄直し等、いろいろな注文がある。
先日も、注文をいただいたので、まずは状態を見るためにお客様宅に伺った。防湿のために入れておいた袋が破れ、その液が着物に付着して固まってしまった・・・というものだった。40数年仕事をしてきたが、こんなケースは初めてだったのでビックリした。確かに、糊が固まったような、ゴムのような・・・。防湿剤というのは乾燥したものだと思いこんでいるので、こんなことになるとは考えもしなかった。
シミ抜きになるのか?、とりあえず、業者に出してみた。それは、名古屋でも大きな業者なのだが、『どうやっても取れない』と品物を戻してきた。
次は、染色業者に出してみた。『完全にとはいかないが、80%くらいかな。』という答えが返ってきたので、仕事に取り掛かってもらった。どう仕上がってくるか楽しみだ。
常日頃、従業員には、『シミは病と同じで、早期発見、早期治療が大事なんだよ。』と話し、お客様から品物を預かる時には、そのことを口頭でも書面でもお客様に説明し、シミが取れなくても代金はいただくようにと指導している。しかし、それでも、古いシミのついた品を持参され、『取れとらんがね!』と言われるお客様もあり、時々困る。『もし、それが癌だったら、あなたはおしまいだよ。』とはなかなか言えないものです。
洗い張り
第940号 2019年7月30日「絹」
着物屋に来る苦情は、着物のことを知らないからクレームになることが多い。
まず、素材の特徴として、絹は、水分を一番早く吸い一番早く発散する、弱い、そして黄変する繊維だということ。対応としては、汚れたらなるべく早く処置することだ。そうすれば大概は元に戻る。動物性繊維だから、人の体には優しくフィットする。中には、洗濯機で洗えるように織った絹もあるので、そういうものは中性洗剤で洗えばよい。下着類がそれに当たる。黄変は仕方がない。古くなった証と思って処分することだ。絹の良い点を理解して上手に利用すれば、人の体には軽くしなやかで、非常に優しい繊維ということだ。
次に、着物は直線縫いであるということ。これは、曲線縫いの洋服と違い、とても着づらい。着慣れなくては綺麗に着用できない。『ミス着物』のようなコンテストで、着慣れた人が入賞するのは当たり前だと思う。直線縫いだから、何度でも作り直しが出来る。日本の時代背景を考えれば、何度も作り直しが出来る品でなくては困るわけで、それだけ日本人は貧しかったということだ。
あとは袖丈のこと。現代の着物には袖があり、50cmほどから110cmほどの丈があるのだが、農民が80%ほどの頃の袖は、筒袖(つつそで)であった。農作業をするには、袖は邪魔で必要のないものだった。
ところで、上記の話で理解していただきたいことは、洋服とは違い、着物は取り扱いによほど注意が必要ということだ。昔の常着の素材はウール、綿、麻だった。現在は、洗濯の出来るポリエステル素材に変わった。よほどのお金持ちであれば、常着でも絹を着用されている人はあったが、そうでなければ、TPOを考え、絹素材を利用した。高価な品だったから、晴れの日を含めた冠婚葬祭にしか利用しなかった。
現在は、着物といえば絹を想像するが、現代の若者のように、もっとポリエステルの品を利用すれば良い。または箪笥(たんす)に眠っている品を利用するのも良いことだ。着用されずに消えていく着物たちがどれだけあるか?しばらくは、そんな着物たちを再利用して生き返らせる時代かもしれない。ただ、悪徳古着回収業者の悪業は考えなくてはいけない。
第938号 2019年5月22日「シミヌキ」
着物の販売をしていて、シミヌキの苦情が多いこと、そして、その仕事に対する理解が低いことを残念に思う時がある。
昭和40~50年代の、まだ毎日着物を着用している人がいた頃は、シミヌキというのは、シミによって使用する液を使い分けるなど、特殊な知識と技術を要する仕事だということを知っているから、『少し高いな』と思っても、請求金額に対してクレームをつけてくるような人はいなかった。
平成の時代に入り、特に感じるようになったのだが、着用機会が減ったことにより、プロに近い着物好きが少なくなった。いい加減なプロが、シミの程度も調べずに、適当に安価な値段を言う。それを聞いた着物のことをよく知らない方が、着物屋に持参してみると、あまりにも請求金額が違うことにビックリして苦情となる。
クリーニング屋さんのするシミヌキと、プロの悉皆(しっかい)屋のするシミヌキとでは、まったくの別物なのだ。私は、いつも病気に例えて説明するのだが、初期の段階で病を見つけて治せば、軽い治療で済むし、完治もする。しかし、遅れれば治療も大変だ。費用も高くなる。シミは病と同じなのです。
我々着物屋は、シミヌキをする職人さんを信用して依頼するわけで、その方が請求する金額が高額であれば、それだけの理由があってのことだと思う。
日々着物を着用されている方は、簡単なシミならベンジン等を使って自分で取っていた。これまでの経験から、専門業者に頼むべきシミなのか、自分で落とせるシミなのか判断していた。もちろん失敗することもあっただろう。そんなことを繰り返しながら勉強し、安価で上手に着物を利用してきた。だから、収納にも気を配る。適度に風に当てて湿気から守る工夫もする。
『高いわねぇ!』と着物のことを知らない年配の方からの苦情は一番悲しい。着物を大切に着用してほしい。そして、着物好きの若者をもっと増やしたい。絹素材とのつきあい方を理解してもらいたい。
第937号 2019年4月30日「悉皆(しっかい)」
悉皆の仕事に、作り直し(リフォーム)があります。
単衣(ひとえ)を袷(あわせ)にしたり、サイズを変えたり、表で使用してしていた生地を洗い張り後は裏にしたり、上前で使用していた生地を下前にしたり、お父さんが着ていた着物を子ども用に仕立て直したり。そんなことが出来るのは、直線縫いだからです。
ただし、両面使用できるのは、糸を染めてから(先染め)織った品、つまり紬(つむぎ)と呼ばれる製品です。普段着とされてきた品ですから、丈夫でなくてはいけません。だから平織で織られています。天然染料を使用したり、耐久性を高めるために糸を泥につけたり撚糸にしたり、産地ごとに工夫して作られてきました。
日本人が、普段着物を着ない洋風化した生活に変わっていった現代でも、伝統的工芸品として守り作られ続けている産地もあれば、もう作るのをやめてしまった産地もあります。また、趣味で作っている人があって、少量ながら生産されている産地もあります。
このように試行錯誤を重ねて作られてきた品が、悲しいことに、今や日本人の各家庭の箪笥(たんす)の中で、ただ眠っているのです。金額にしたら何十兆円もの箪笥在庫となってしまっているのです。そして、それを安価な値段で処分している日本人がたくさんいます。本場結城紬などは、風合いが綿によく似ているので、譲り渡す人にきちんと説明しておかないと、高価なものとは知らずに、着用もされないで処分されてしまいます。
貧しかった日本人が考えて作り出した着物が、当時は何度も作り直して着用されてきたのに、裕福になった今では、その価値も知らないで平気で処分されていく。着物の欠点は、直線縫いであるがゆえ、上手に着用するには着慣れなければいけないというところです。これさえ克服すれば、どんなところに着て行っても、褒められることはあっても貶(けな)されることはないでしょう。
今日で平成が終わります。来る令和では、もっと着物を楽しみましょう。昔から受け継がれてきた日本人の財産です。
第864号 2015年4月7日「洗い張り No.5」
昭和20年以前の女性の平均身長は140cm台でした。それを思うと、日本人の身長はずい分高くなりました。
なぜ、そうなったのか?昭和20年といえば終戦の年です。戦後、アメリカ軍の指導の下、生活が一変しました。食料がなく、食べるものを集めるのに苦労した時代でもあります。そんな中で、米とみそ汁の食事が、パンと牛乳に変わりました。
我々の年代の学校給食といえば、脱脂粉乳とパンです。脱脂粉乳は、とてもおいしいと言えるようなものではなく、鼻をつまんで飲んでいる同級生もいましたが、次第に慣れました。こんな食生活が、身長を高くしたのです。現在と比較すると、10cm以上も高くなりました。
背が高くなれば、身丈も裄(ゆき)の長さも違ってきます。反物の巾も、昔のものより広くしなくてはいけません。実際、この30~40年の間に、特に振袖は、幅広の品に変化しました。
昔は、子どもでも着物を着用する習慣がありました。正月にはウールアンサンブル、夏は浴衣。しかし、今は成人式まで着物を着たことのない日本人が増えました。
そういう方たちは、洋服感覚の裄の長さを要求されます。着物には普通50cmほどの袖がついています。茶道などをしたことのある方ならおわかりいただけると思うのですが、何かを取ろうとすると、その袖がジャマになります。慣れていない人だと、袖を汚してしまいます。
おばあさんの着物を洗い張りして作り直そうとしても、お嬢さんが望むようなサイズにすることはできません。いっぱいまで広げて作っても、それでも短いと言われるお客様があるのですが、そんな方には、着物を着て生活してみることをお勧めしたいです。短い方が便利だということを実感しますよ。昔は、そんなに広い巾の着物は必要なかったのです。
第790号 2014年2月18日「洗い張り No.4」
留袖の洗い張りを引き受けた。
紋のついた着物の洗い張りは、『紋洗い』 と言って、洗った後、もう一度きれいに紋を書き直さなくてはいけない。預かった留袖をよくチェックしてみると、黒い生地の色も、ところどころヤケが入って変色している。悉皆(しっかい)業者に相談してみると、結構、直し代金がかかるという。『解(ほど)き』の作業は、すでに店で終わってしまっている。儲かる仕事ではない。いい勉強になった。
昔、同じように預かって、洗い張りをした着物の仕立てが悪いと、苦情を受けたことがある。いろいろ調べてみたら、寸法が違っていた。従業員の勉強不足に呆れ、お客様に謝罪した。すると、お客様は、『寸法はいい。仕立てが悪いのだ。』とおっしゃった。着用すると、衽(おくみ)の先が少しはねるのだ。しかし、これは着方にもよる。台の上に置き、寸法チェックをすると、お客様のサイズには合っていないが、きれいに縫ってある。身巾は、広いなりにきちんと作られている。仕立ての状態などを説明したうえで、もう一度、初めからやり直しをさせていただきたいと申し出た。だが、お客様は、寸法違いの話が理解できない。私の対応も悪かったのか、腹を立てて帰られた。
前の店長夫婦も、年数だけは長かった。最終的には、何でも答えられる人材に育っていなくてはいけなかった。だが、日々の勉強を怠っていた。基本がわかっていなかった。クレーム処理は難しい。
第767号 2013年11月8日「洗い張り No.3」
本場結城紬は、洗い張りをしてから着用すると生地がやわらかくなり、大変着心地がいいそうだ。
私も単衣を1枚持っているが、洗い張りをしていないから、まだゴワゴワ状態。高級品は、もったいなくて、なかなか着用できないものだ。洗い張りをする前に、あの世行きになってしまいそう。
先日、その話を女房にしたら、『そんな着物あったっけ?』とすっかり忘れていた。昔の礼服と同じで、タンスの中で虫に食われる着物になってしまうのか?我々の年代の特徴だから仕方がない。諦めるか・・・。
噺(はなし)家は、まず、弟子に普段に着用させ、それから自分が着る、などという話を聞いたことがある。
結城紬は、着物好きにとっては、何枚も欲しくなる着物だそうだ。まず、着用した時、軽いという。手紡糸(てぼうし:手でつむいだ糸)だから、着れば着るほど糸の味が出る。私にもよくわからないが、着物好きにとっては、愛着の湧く1枚。
特に、昔は丈夫なことが絶対条件だった。親から子へ、そして孫へと何代にもわたって同じ生地を使用していくとなると、藍染のような両面使用できる先染の丈夫な生地でなくてはならない。自然と、皆が同じスタイルになった。洗い張りをして、仕立て直し、それでも使用できなくなると、子どもの四ツ身、三ツ身、一ツ身へと変化した。ボロ布になったら、最後は、パッチワークのあて布にした。
直線縫いの着物は、どこまでも便利な布なのです。
第758号 2013年10月4日「洗い張り No.2」
従業員教育で、着物が直線縫いになっていることを教えるには、『解(ほど)き』をさせるのが一番だ。縫い糸を解くことで、着物がどのように構成されているのか実感できる。裄(ゆき)だとか衿(えり)、前・後巾、衽(おくみ)巾、等々、解くうちに着物のことがわかり、仕立て直し、つまりリフォームの話をしても納得する。
作務衣のような生活着には、長い袖はない。では、なぜ、他の着物は袖丈を長くしたのだろう?振袖のお客様には、『袖を振ることで、幸せのキャッチボールをするんだよ。』などと、魂振りの話をする。だが、真意は?争い事を鎮めるため、無くすためだと思うのだ。袖が邪魔になって、刀を振り回しづらいのではないか?そのあたりが本当のところか?
我々は、知らないうちに、袖がついているのが当たり前だと教えられてきた。袖がないほうが便利なのに。そんなことを考えるなら、直線縫いで作ってあること自体も不便だ。着物の当たり前の決まり事は、不便な事が多い。これ以上の話になると、業界の先輩方からお叱りを受けそうだし、私自身の勉強不足を指摘されることになりそうなので、もうよそう。
着物は、着慣れることが一番なんだ。着づらい品なんだということを頭に置いてから着装を始めれば、気軽に着物が楽しめると思う。
第757号 2013年9月27日「洗い張り」
私がこの仕事に入った頃は、まだ、常に着物を着用されている方がたくさんいた。『洗い張り』をして、仕立直しをし、着用される方が多かった。
常着の代表がウール素材の品だったが、すべりが良くて軽いシルクウール着物もよく売れた。絹物だと、裏地を付けるので仕立代も高額だが、昭和40年代後半になると、高度成長で世の中も安定し、着物にも贅沢するようになり、紬や小紋がよく売れた。
毎日着用していると、立ったり座ったりで、ヒザの当たる部分などはどうしても痛んでくる。洗い張りをすると、組織が元に戻り、汚れ等も取れ、新品同様になる。
仕立直しの注文を受け、着物を預かると、縫い糸を解いて一反の布にするのだが、その仕事をよく手伝った。祖母は、いちいち糸を切るのではなく、縫い目から糸を引いていた。すると、す~っと布が2枚に分かれて解けてくるのだが、私はそれがなかなか出来ず、ハサミを使ってばかりいた。結果、切った糸がたくさん布に残り、その糸くずを取るのにまた時間が掛かった。よく着用されるお客様は、10年もそのままにするようなことはされないので、解きも簡単(糸を引きやすい)だが、着用されていない方の着物は、糸も弱っていて解くのに時間が掛かった。
現在は、洗い張りをされる方も少なくなった。代替わりをして着物が必要なくなると、『引き取ってくれないか?』と問い合わせてくる方もある。そんな電話が多くなった。この業界で商いをする身として、悲しい気持ちになる。
着物のこと
第941号 2019年8月26日「着物について」
10月から消費税が10%になる。またしても、その場しのぎの還元セール(プレミアムセール)で商品券の安価販売をする。残念ながら、その商品券を手に入れた方の中で、着物を購入される方は少ないと思われる。消費税が上がる前に買っておこうという動きは、以前ほどは見られない。今夏のゆかたの販売も低調だった。
2020年の東京オリンピックに向けて、『和』に対する関心は日ごとに高まっているように流通誌では語られている。しかし、昭和55年頃には1兆6000億円あった売上が、現在は2600億円まで落ち込んでいることを体感している私のような世代の者にとっては、いくら良いと言われても絵空事(えそらごと)のようにしか聞こえない。だいたい、この状況を作ったのは昭和10年~30年代生まれの我々なのだから仕方がない。
終戦後、衣食住あらゆるものが洋風化し、徐々にその弊害が表面化した。そして再び、古き良き時代の『和』のものが見直されている。失敗から学ばなければ成長しない。この何十年、日本人はそんなことを繰り返してきた。
もちろん洋風文化も良い点はたくさんある。それも踏まえて前進してきたわけだが、近頃、妙に昔を思い出すことが多くなったのは年を取ったせいか?自分の生きてきた約70年間は、女房の世話になることばかりではあったが、『良き人生』だという思いも強い。特に、昭和の時代はよく遊べた。よく儲かった。日本全体がそうだった。それが平成10年以降は、問屋さんもメーカーもバタバタと倒産した。閉店する着物屋も多く出た。
今後、日本人の生活がどう変化し、その中で着物がどう残されていくのか?着物を文字の如く『着る物』とするなら、『着用する物』として残したい。そう思う。
第930号 2018年9月26日「着物のこと No.13」
景気がいいと言っても、それは大企業だけのことで、中小企業はどうだろう?
求人難も同様だ。今は、売り手市場らしい。働く側からすれば、良い働き場所を選べていいのかもしれない。我々の業種では、規模の大きな会社ほど、こちらが求める人材は入ってこない?中堅企業は大変だろうと想像がつく。来てくれるのは、よほどの着物好きかファッションに興味があって、なおかつ和装の知識がある人、または、ほかの着物屋に勤めた経験がある人くらい。
昔は、ガチャマン景気と言って、作れば儲かる時代もあったと聞く。しかし、海外から安価な洋装品が入ってくるようになり、和装のものを着用しない欧米文化の時代へと変わると繊維産業は衰退していった。
我々の年代の親は、電化製品を買いあさった。それが一巡すると、今度は車や家の購入に変わり、海外旅行やブランド品を買いあさった。余裕のある家庭であれば、着物に憧れを抱いた年代の女性は、着物にも興味を示し、着物業にとって景気の良い時代があった。ただ、購入はしてくださったが、着物を毎日着用してくれた方はごく一部にすぎなかった。だから、タンス在庫が何兆円にも膨れ上がってしまった。
常着として着る紬などは、各産地で手染めや手織りした品であったり、作家が手描で作った一品物だったりする。そんな品を譲り受けた子ども達が、その品の良さを知らず、捨ててしまったり、古着屋に安価で販売したりしている。レンタルでも、まだ着用していただければ有難い。処分されていく着物のことを思うと悲しい。
これからの着物は、民芸品の一種として残っていくしかないのだろうか?いつかテレビ映像で、『こんな時代がありました』と今の時代劇のように出てくる品になってしまうのだろうか?
第926号 2018年5月22日「着物のこと No.12」
このたびの園遊会では、絞りの振袖が良かった。そして多かった。絞りで有名な名古屋のメーカーの品だそうだが、やはりテレビに映れば宣伝にもなる。業界の者なら、一目でどこのメーカーの品だとわかる振袖だった。
5月ともなれば、再来年の新作BOOKに掲載する振袖の柄選びも本格化。問屋さんも、一枚でも多く選んでもらえるよう、メーカーとの折衝の中で、良い柄選び、そして、少しでもお値打ちな価格で仕入れできるよう奔走している。
4月の選品会では、総絞りの振袖が良かった。昔からのイメージでは、この値段でこれだけの品がよく出来上がってくるなぁ・・・という感じだ。我々の業界も、これまでの商いの流れで、よい慣習は作られてこなかった。特に力のあるお店ほど、マネキン主体の押し売りや囲い込み、ローン販売に重ね売り。強引な商いをする業界に成り下がった。もちろん、きちんとした商いをされているお店のほうが多いとは思うのだが、業界紙を賑わせたお店ほど、たくさんの店舗を持つ大手であることが悲しい。
さて、この時季に着用するのは、正絹では単衣(ひとえ)、普段着なら紬がオシャレだ。若者の間では、ポリエステル繊維の品が、都会でよく売れているという。そして、それらを扱う専門店も出店している。石油製品だから暑いかもしれないが、まだ今くらいの時季なら、とてもいいのかもしれない。着物をオシャレ着として楽しんでいただき、年齢を重ねたら、もう一段階レベルアップして、日本古来からの伝統や民芸品に目覚めてくれたら嬉しい。夏物なら木綿から絹紅梅(きぬこうばい)、上布等、現在残っている産地を我々の世代が守っていかなくてはいけない。
まずは着物好きを増やそう!
第923号 2018年2月14日「着物のこと No.11」
20年も30年も前のものとなると、大抵の物はまず利用しません。機械物なら、動かないかもしれません。洋服で20年後も利用できるのは、サイズが変わっていなければ礼服くらいでしょうか?でも、着物は利用できます。理由は直線縫いだからです。何度でも寸法を変更できます。だから昔は親の着たお古を子どもに、子どもの物を幼児に作り直しました。
衣食住と言いますが、衣は、寒さや暑さをしのぐ為にどうしても必要なものでした。現代のように石油製品はありませんし、綿も絹も中国からの輸入品でした。その後、日本に綿の種子が渡来します。戦国時代以降、安価で作れる綿は、すぐ全国に広がりました。徳川幕府になり戦争がなくなると、米などの作物を安定的に作れるようになりました。戦国時代からの人口の増加は、綿の衣装のお陰もあります。
我々の知る歴史は、公家、武家、寺家の話であって、圧倒的多数の農民の生活は、あまりにも粗末で書物に残せるものではなかったのかもしれません。江戸、明治と庶民は豊かになっていきます。着る物も、何枚も持てるようになりました。直線縫いの作りは、洋服と違い着用しにくいものですが、作り直しが出来るという点では便利なものでした。
第920号 2017年12月26日「着物のこと No.10」
着物に関する仕事を手伝い始めて47年になる。40歳になった時から、営業日は毎日着物を着用している。お茶・お花・日本舞踊・民謡・能・詩吟・琴・三味線など、着物から連想する習い事はいろいろあるが、自分は一切やってこなかった。
老舗の着物屋さんの子どもなら、特にそれが女の子であればなおさら習っている子は多い。私の妹も習っていたが、お茶やお花は、花嫁修業の一環として、一般のご家庭でも習わせているところはあった。今でも習っている人は多いようだ。
昔と今とで違うのは、昔は着物着用でお稽古したものだが、今は洋服姿のまま、着物を着ているという想定で行う。当然、お茶会当日は着物姿となる。粗相をするわけです。着物は、着慣れていないと歩くのも所作もうまくいかない。洋服ならうまくできても、本番ではいつもと違う。茶を点(た)てる時に間違うと困ったことになる。茶道は先生の真似をすることから始まるわけだが、先生も着姿でないと、もう茶道どころではない。
勝手なことを書きましたが、お茶は着物姿でお楽しみください。
第917号 2017年10月17日「着物のこと No.9」
当店には、子役をしているお客様がある。東京・名古屋・大阪の劇場に出演されているというその子の身長は130センチくらい。小物を買いに来店された。
130~140センチとなると、肌着も既製品がない。それならば別誂(あつら)えに・・・としたいところだが、そう簡単な話ではない。ガーゼ生地の扱いに慣れた人なら簡単に縫うことができても、そうでない人にとっては難しい作業なのだ。ミシンが走らないらしい。金額においても、既製品なら安く済む。海外で作れば、ビックリするような安価で出来る。
着物の仕立も海外仕立が多くなった。購入の方の仕立は国内で行うが、レンタル品等は海外に出すことが多くなった。日数はかかるが、別誂えでもきれいに仕上がってくる。誰が縫ってくれたかなんて、商品を見てもわからない。リフォームなどの難しい注文の場合でも、特急以外なら、これでいい。まだしばらくは、こんな感じで時代は進んでいくのだろう。
しかし、着物好きや着物を常に着用されている方からの注文に対応できなくなってきた。単に、私の勉強不足のせいなのかもしれないが、申し訳なく思う。
第915号 2017年8月29日「着物のこと No.8」
現代人は、着物といえば絹(シルク)を想像する。その時点で、『着物は外出着である』というイメージが底流にあることがわかる。常着にシルクを着られる人は、よほどのお大尽ぐらいしかいない。
まだ着物を着用する人が多かった時代、夏は綿、冬はウールというのが庶民の着用する素材だったと思う。現代は、その素材が、ナイロンやポリエステルに取って代わられた。石油製品だから、特に冬は暖かい。また、洗濯に強いので、夏に汗をかいたら、何度でも洗えばよい。
本来、日本は、四季の変化のある国だから、季節ごとに着る素材を変えればいいと思うのだが、時代は、そんな面倒を取り除くべく、素材開発に力を入れてきた。例えば、汗をよく吸う繊維だったり、着用すると暖かさを感じる製品。
昔と大きく違うのは、丈夫で洗濯が可能なことだ。洗濯機に放り込めばいいという品は、昔では考えられなかった。また、縫製も洗濯に耐えられるよう現在はミシン縫いだ。だから縫い直しができない。着物は、何度でも解(ほど)いて作り直しができるよう直線縫いで作ってある。時代は変わった。
第858号 2015年2月16日「着物のこと No.7」
私の祖父にあたる正直屋の初代・奥田正直は、毎日着物姿だった。
私が大学生の頃には、すでに店は父の代に替わり、ほぼ隠居の身となっていた。私と同じく糖尿病で、白内障も患っていたから、仕事から徐々に遠のいている感じだった。反対に、祖母は仕立物の係を任されていたので、第一線で働いていた。
年老いた時に、年相応の趣味が無いのも困る。祖父に趣味が無かったわけではない。書道も上手だったし、骨董の趣味もあったようだが、目が悪くなってからは、年を追うごとに興味が薄れていったのだろう。
そうすると、日々、することが無い。店に出ていても、商いは番頭や親父がする。取引先の知った人がくれば、話はするが長話は相手の迷惑となる。昔話の延長は、酒の席でなら楽しいかもしれないが、昼間にするようなものでもない。
そうなると、もっぱら従業員がやっている商いを横で眺めるのが仕事になる。眺めるだけならいいのだが、口をはさみたくなる。40年も50年もきもの屋をやってきたベテランだ。キャリアが違う。しかし、たたき上げのベテランの話は、その場にそぐわない。商品も商いの手法も、常に変化しているわけで、いつまでも年寄りの話が通用するわけではない。
最後まで店に出ていたが、孫の私には、見苦しいだけに見えた。親父はどう思っていたのかはわからないが、祖父が元気な頃は、店にはおられなかっただろう。
私も、祖父と同じような年齢になった。祖父がそうであったように、なかなか引き下がることができない。目が見えないのだから、従業員に任せておけばよいのだ・・・と、わかってはいるのだが。
これからの自分の仕事は何なのだろう?流れの速い時代、行く方向を間違えないで生きることは難しい。
今やれることは、祖父と同じ。毎日着物を着て、店に出ること。
第857号 2015年2月9日「着物のこと No.6」
近ごろは車社会になり、羽織や道行コート姿を見かけることが少なくなりました。車で移動するから、少々寒くても必要ないのでしょう。
ホテルで行われる結婚式等では、ホテルで着付けてもらって式の間だけ着装し、終わればまたそこで脱いでくるわけだから行きも帰りも洋服です。違うのはヘアとメイク。普段と変わらない洋服姿にド派手な髪形。中年女性にとって、そんなことはお構いなし・・・などと書くとお叱りを受ける。
成人式の若いお嬢さんは、ここが違う。二次会用のパーティードレスのことも考慮して、洋装にも和装にも合うスタイルにされる。そして、髪飾りを工夫したり、付け替えたりしている。さすがです。
私としては、出掛ける時から帰宅するまで、つまり、二次会でも振袖姿でいて欲しいと願うのです。せっかく高額な振袖を用意したのに、前撮りと当日3時間だけでは何とも悲しい。長時間着装されることで、日本人として着物を身体でも感じて欲しいのです。
『日本人=着物姿』と考えるのなら、本当は自分で着れるようになっていただきたいのですが、現在の着付教室は、まるで物売りの教室のようになってしまった。とても残念です。
道具を使用しないで気軽に着るには、やはり着慣れることしかないのです。方法としては、お茶・民謡・能など、和の作法を学べる教室やグループに参加することです。
和食や和紙が世界文化遺産に認定され、『さあ、次は和服だ!』などど考えるのはおかしいかな?毎日の生活の中で着物を着て、和食やお茶・花を楽しみ、時には歌舞伎・浄瑠璃・能・相撲等、日本古来の芸能を堪能するのも楽しいですよ。お金のかからない楽しみ方なら花見でしょう。桜・アジサイ・菖蒲・・・いくらでも着物を着る機会はあります。日本人として、そんな時間を作ることが出来れば心遣いも生きてきます。その場しのぎの着装では、きちんとした『おもてなし』にはなりません。
第855号 2015年1月26日「着物のこと No.5」
和食が世界文化遺産に登録され、このたび、和紙も登録された。和服がなぜ登録されないのか不思議だ。
外国人旅行者が1,000万人を越え、その中には着物姿に興味を持つ人がいる。実際に、京都では、着物を着て観光できるというようなサービスを行っているところもある。旅先である日本で着用体験をして着方を覚え、購入して帰れば、自国に戻ってからも着用するという楽しみが味わえる。日本人自身が忘れてしまった『見る喜び』、『持つ喜び』、『着る喜び』だ。
つい数十年前の日本人は、普段の生活の中で当たり前に体験し、日々の忙しい生活の中で着物を着用し楽しんできた。外出着として、お茶やお花の会に、観劇に、そして四季折々の花々の観賞の折に・・・と、いろいろな場面で着物を楽しんできた。その日本人が着物を着なくなり、外国の人々は楽しんで着用される。
そもそも着物は着る物、普段に着用するものだった。1,000年以上の日本の歴史の中で使用されてきた衣装が、百数十年の間に洋服に変わってしまった。安価で便利で活動的な洋服は、まるで昔からあったかのように日本人に浸透してしまった。
外国人の目から見た着物は、どんな感じに受け止められるのか?そして、彼らの着姿を見て日本人は着物をどうとらえるだろうか?今、もう一度着物を見直す良い機会となるだろうか?
第853号 2015年1月7日「着物のこと No.4」
以前、京都の職人さんの高齢化の話を聞いたことがある。我店の仕立屋さんの高齢化も深刻だが、幸いなことに若い仕立屋さんもいる。しかし、彼女には小さいお子さんがいて、そちらに手がかかるだろうと、倍の時間がかかることを想定して仕立てに出している。だから、早く出来上がってきた時には『ラッキー!』と思う。
近ごろ、注文の少ない商品も出てきた。雨コート、絹の夏物、常に着用されていない品は仕立が出来なくなり、メーカ―に出すなどして補っている。綿入れの袢天(はんてん)などは既製品が安価で売られるようになってからは皆無だ。先日、丹前真綿を購入されたお婆さんがいたので、何に使うのか尋ねてみたら、身内の袢天を作るのだと話しておられた。表地は絹、中綿も本真綿だから軽くてとても暖かいだろうと想像する。以前にもそういう注文を受け、既製品との違いを知っているからわかるだけで、既製品しか扱っていなかったらわからない話だ。
着物の世界も、どんどん欧米化している。洋服の世界では、ワンナイトパーティードレスとかいうものがあるらしい。一晩使用できれば良しとした、それなりの品質と縫製のドレスのことらしい。反対に、日本の格安衣料メーカーは、良品をいかに安価で販売するかという努力をしている。
日本の着物は、何度でも作り直すことができるというのが利点であった。だから、購入して大切に扱った。祖母の着物を母が着て、またその娘が着る。そんなことが当たり前のようにされてきた。日本人の物を大切にする魂というのが根本にあったからだ。
レンタル着物が多くなった。ワンナイトパーティードレスと同じ考え方なのだろう。どうせ一日だけだから安価な品でいい。着物のたたみ方も知らない。そんな時代だから仕方がない。日々着用する品でもない。
最高の繊維である絹は、これから増々生産が減ってくる。糸を作ることに手間がかかりすぎるからだ。ただ、着るものとしての需要は減っても、他の品での利用は増えるかもしれない。
時は移り変わり、人も変わる。その時代に適応した衣が当然残る。日本人はこれから着物をどう捉(とら)え、残してゆくのだろう。100年後に成人式がまだ続いていたとするなら、その時、彼女・彼らたちはどんな衣装をまとっているだろう。
第851号 2014年12月29日「着物のこと No.3」
着物販売において、昔は、担(かつ)ぎ屋という商いの手法があった。基本的には店を持たず、着物や小物類を持参して、お客様宅を廻るのだ。シミ抜きや洗い張りなどのアフターフォローもした。お客様の好みそうな商品を研究して商品の仕入れをした。着物を着る人が多かった時代には、お客様にとって大変便利な存在だった。着物を着て仕事をされる人は、四季に応じた品が必要となる。だから、担当者の手腕によって自分がより光り輝くわけで、だから大切に利用した。
正直屋に戻り、ひとりでお客様廻りをし始めた頃、お客様の中に、担ぎ屋さんで商品を購入されている方があった。その方からは多くのことを教えていただき、大変勉強になった。来店して購入していくお客様は、目的があっていらっしゃるから求められるものをお見せすればよい。お客様廻りというのは、いわば御機嫌伺(ごきげんうかが)いであって、訪問したお宅すべてから注文をいただけるわけではなく、訪問した日や時間帯によっては相手すらしてもらえない時もある。世間話の相手をするにも、それについていけるだけの知識が必要で、新聞を読んだり着物についての新しい情報を得ることが最も大切だ。番頭からは、『デパート巡りをして商品単価や流行を勉強してきなさい』とよく言われたものだ。
振り返ってみると、お客様から、その方が持っている品の自慢話を聞かせていただけるようになった頃から、自分の勧める商品も見ていただけるようになったと思う。しかし、わからない商品ばかりで、お客様に教えていただきながらの商いだったから、今思うと、よく購入してくださったものだ。お客様からすれば、後ろで番頭がフォローしてくれているという安心感からだったに違いない。正直屋ブランドの信用のお陰だと気づいたのは50歳を過ぎてからだ。そんなお客様も永眠し、番頭たちも定年を迎えて退社した。
今でもお客様廻りは続けているが、昔ほど廻るところはない。店にいると、たまに着物好きのお客様が来店されることがある。そうすると、昔覚えた商品知識の『おさらい』のような会話をすることがあり、とても楽しい。現在でも、毎日着物を着用されている嬉しいお客様もあり、そんなお客様の洗い張りやシミ抜きは少しでもお値打ちにしたいと思ってしまう。
第850号 2014年12月23日「着物のこと No.2」
『ジロジロ見られるから着物を着るのをやめた』というお客様があった。現代は、どうしても着物を着なくてはいけない時などない。洋服のほうが気軽だし動きやすいし、ジロジロ見られることもない。
洋服でも、昔は普段着と外出着とに分けていたが、今は分けて着用することもない。若い人たちは、結婚式も葬式も、普段とあまり変わらない服装で出席する。時には新調することもあるだろうが、我々の年代から見れば、毎日が外出着の感じだ。着物も、昔はきっとそうであったに違いない。結婚式や葬式などは、年に何度もあるわけではない。
普段は、素材でいうなら綿・麻・ウール、暑くなれば裸に近い薄着にして暮らし、寒くなれば1枚2枚と重ね着をして温かくした。雪が降る地域は、綿入れを着用した。もちろん、生活着だから袖のない作務衣だ。いつから現在販売されているような袖の付いたスタイルを着物と称するようになったのかはわからない。
公家・武家・寺家の位の高い方たちは、日常、袖の付いた和服を着用されていたかもしれない。でもそれはごく一部で、全体の数%にも満たないだろう。彼らも、普段の生活の中では、やはり袖など付いていない衣を着用されていたと思う。袖が装飾品のひとつであったと考える方が理解しやすい。作務(仕事をすること)に、袖は必要ない。
袖には神が宿り、袖を振ることで幸せが舞い込むという袖振り信仰の話もある。長い年月、日本人は自然や物体に神が宿っていると信じてきた。これが神道だ。袖振りとは、つまり神振りなのだ。だから、特別な日に着用する。神が自分を守ってくれると信じたのだ。
袖の付いた着物が普通に着られるようになったのは、世の中が平和になった証明でもある。戦では、袖はジャマになるだけで必要のないものだ。一番良いスタイルで残ったのが今の着物かもしれない。
そんな縁起の良い着物を、私は毎日着用している。しかし、私自身も着始めた頃は、人が大勢いるような中心街を着物姿で歩くのはイヤだった。ジロジロ見られることにドキドキしたりもした。『きれに着用できているだろうか?』と気になって仕方がなかった。
だが、慣れてくるといい加減な着用でも『これが自分の着こなしだ!』と思うようになり、着付師に着付けてもらうきれいな着装に対しては、『締め付けられて可哀そう』と思うようになった。着物は自然に着なれていくのが一番。『曲線縫いの洋服と違い直線縫いの和服はきれいに着用するには着慣れるしかない!』と考えるようになった。『洋服に着付教室があるかい?』と思うのだ。
あと何年着物を着続けられるだろうか?自分勝手かもしれないが、自己流で着続けたい。それでいいと思う。
第735号 2013年7月5日「着物のこと」
『着物とは、直線縫いで作ってあるんだ』ということを実感するには、着用した着物を、一度、自分でたたんでみるとよくわかる。どこかの部分が膨れ上がったり、変に折れ曲がったりしない。裾(すそ)からたたんでも、袖からたたんでもいいが、慣れてしまえば簡単だ。
だから、着物というのは、布さえ余分にあれば、リフォームは簡単なのだ。例えば、袖を破ってしまったり、タバコの火で焦がしてしまったりしても、布さえあれば、また新品のような状態に戻る。
男物などの場合、大島紬1疋(ひき)という品は、長さが6丈(じょう)あり、着物が2枚作れるだけの長さがある。これで着物と羽織を作るなら、5丈5尺(しゃく)必要で、5尺余ることになる。この残り布は、先に述べたような時のために取っておくとよい。
洗い張り(着物をほどいて一反の生地に戻し、きれいに洗ってから、また元の形に仕立て直すという作業)をするのであれば、仕立て直しをする際に、前身と後身を反対にすれば、汚れや破れで傷んでいる箇所を隠すことができる。
現在は、安価で何でも購入することが出来る幸せな時代だ。でも、日本人は、1枚の布を工夫して、何度も何度も作り直して着用してきた。着物を着用した折に、着物とはこんなに便利なものなのだということを、思い返してみるのもいいのでは?
着付について
第873号 2015年7月22日「着付について No.2」
先日、着付を習っているというお客様が、お母様から譲り受けた着物を持って来店された。通っている着付教室の先生に、着物の寸法が自分に合っていないから綺麗に着装できないのだと言われたらしい。寸法直しをしたいとのご注文で、身巾が、袖付が、裄が、等々、細かい指示だ。
取りあえず、女房が、その着物をお客様に着せてみた。身巾や身丈は腰ひもの位置をこのくらいにして、上前や下前の位置はお腹まわりに合わせてこのあたりに、といった具合に調整しながら着せてみたところ、きれいに着装できた。年齢と共に、お母様と同じ体形に変化していたということか?まあ、そのあたりのことには触れないこととして、ただ、裄だけは今の人のほうが少し長めなので、そこは直すことにした。他の箇所については、着方の工夫で済んでしまうのだ。着付の先生が、そんなこともわからないのか?と女房が不思議がっていた。先生自身、毎日は着物を着たりしないからか?
私も近頃、年のせいで背が縮み、階段等で裾を踏むようになった。『猫背だからだわ。』とか、『もっとシャンと着なさい!』と女房に注意される。お腹も出てきたから、前巾も合わなくなってきた。だから、着る時に少し調整して着るようにしている。しかし、いちいち直しているのも大変だ。自分で着物に合わせるしかない。毎日着ていれば、自然とそれなりに着られるようになる。その辺のこともわかって、先生は指導しなくてはいけないと思う。
お金さえ出せば、寸法を直すことはできる。しかし、その寸法は、本当にその人の体に合ったものなのか?毎日のように着用していた昔の人たちからみれば、ただのクレームにしか聞こえないかもしれない。考えたら恐ろしい話だ。
第733号 2013年6月28日「着付について」
(こんなことを書くと、着付の先生方のお叱りを受けるかなぁー?)と思いながら書きます。
着付は、確かにきれいに着装されている方が良いです。しかし、着物を毎日着用されていない現代人が、きれいに着れるはずはないのです。
着用するとすれば、大概、何か晴れの日、または、悲しみの日のことが多いでしょう。普通の人なら、年に数回あるかないかのことです。そんな時は、業者にお願いして、ヘア・メイク・着付をしてもらえばいいのです。袋帯なども、自分で結べる人は少ないです。自分で着ることを考えるより、業者に頼んで結び方に工夫をしてもらって、おしゃれを楽しめばいいのです。そうすれば、短時間で仕上がるし、プロのセンスで上手に作ってくれると思います。
反対に、それ以外の日の着装は、自分の思うままに着ればいいと思います。洋服に着付教室がありますか?老人から見れば『だらしのない着装』を、若い人たちは、自分にマッチしていると着こなしています。着物も好きに着用すればよいのです。帯だって前で結んだりして自由に楽しめばいい。
私は、ほとんど毎日着物姿ですが、きれいに着ているとは思っていません。出来る限り店の顔として着続けたいと思っています。暑ければ、夏物や単衣、寒ければ、合せ着・綿入れ半天・商人コートあるいはマフラーを締める。着物は着る物、礼装の決まり事以外は、誰が何を言おうと、好き勝手に着装すればよいのです。それよりも、もっとたくさんの日本人に着物の良さを楽しんでいただきたいと思います。
第909号 2017年2月22日「着付教室」
正直屋でも、昔は着付教室を開いていた。振袖ご購入のお客様には、特典として3ヶ月間レッスン料を無料にするなど、毎週開講していた。常に着物を着ている生徒さんもあれば、着物姿に憧れを抱いて習う人もいた。続けて通って先生にまでなられた人もたくさんいた。その中には、現在、着付師として成人式の日に来ていただいている方もいる。しかし、旅行会や観劇会など、着ていく場所や機会を我々業界の者が提案し続けてこなかったことから、次第に生徒は減っていった。
現在でも商いが成り立っている着付教室は、いろいろな努力をされてここまで続けてこられたのだろう。その中には、着物販売も含まれ、上手に行っている。お茶、お花や民謡等の習い事とは少し形態が異なり、趣味と実益を兼ね備えたのが着付教室だ。
フォーマルでしか着物を着ない方が多くなった。そうなると、着る側からすれば、着用日に綺麗に苦しくなく着せてもらえればそれでいいわけで、店としては、そのご要望にお応えできるプロの着付師を見つけて契約しておき、その時々に対応できればそれでいいのだと思うようになった。出来るなら、その時、ヘア・メイクも一緒にできれば、なお良いということなのです。でも、これは本当の着物好きを作ろうとしているものではありません。だから続きません。2020年の東京オリンピックまでは、とりあえずそんな商いが続くと思うのです。『着物姿ってカッコイイですね!』 そんな憧れをすべての日本人が抱きながらも着用者が減っていくのは寂しい限りです。でも、それが現実です。
名古屋友禅
第848号 2014年11月28日「名古屋友禅 No.5」
前回(第847号)『伝統的工芸品』についてご紹介しましたが、そこで名古屋友禅も伝統的工芸品であると書きました。実は私、その名古屋友禅の宣伝マンなのです。正直屋のホームページでもご紹介しており、それを見た方から、工房を紹介してほしいと、時々問い合わせがあります。
『名古屋友禅』といっても、現在、手描きの作品は市場にはほとんど出ておりません。残念なことです。30年くらい前は、堀江勤之助さんという作家の方もいらっしゃったのですが、当時でも高額でした。どうせ高額な品を購入するのなら、知名度の高い京友禅や加賀友禅をと思うのが世間一般の考え方なのかもしれません。目にすることがなければ、欲しいと思っても手に入れることはできません。もっと世間に広く出回るような作品をと願うばかりです。
何人かの作家の方のお話を伺ってみると、すべての作業をほとんどおひとりでされているということでした。まさに逸品、そして一品限りの作品です。同じ柄でも、その時の気温や湿度、あるいは、お客様の好みで、色が濃くなったり薄くなったりと、まったく同じには仕上がりません。そんな手描きの良さや楽しみがあるのが名古屋友禅です。
興味を持たれたら、お電話ください。
第665号 2012年10月2日「名古屋友禅 No.4」
『歴史、それは絶え間なく流れる大きな河。その中のキラキラした一滴を秘話と呼びます。』で始まる『歴史秘話ヒストリア』。NHK総合テレビ、水曜日午後10時からの番組だ。
このたび、徳川宗春をテーマにした10月17日放送予定の回で、名古屋友禅が紹介されることになりました。
その時代の将軍、吉宗の不況対策としての倹約令に対し、宗春は町を活性化させることで経済は良くなると考え、色々な政策を打ち出したそうです。結果、全国各地から商人・職人が集まり、様々な文化が生まれ、『ものづくり名古屋』の礎が築かれたと言われています。
時代背景から名古屋友禅は、京友禅や加賀友禅のように豪華で派手で煌(きら)びやかな品ではなく地味なところが特徴で、そんなことから、他の友禅のように我々きもの屋でも取り扱い量が少ないというのが現状でしょう。
今回の放送を見て、その時代を生きた人物や名古屋友禅をもう一度勉強したいと思います。
皆さんもぜひご覧ください。
第582号 2011年11月22日「名古屋友禅 No.3」
名古屋友禅をHPで紹介したくて、自らメーカーさんに話を聞いたり、職人さんのところへ出向いたり、情報誌の方にも取材をしていただいたりして何とか載せることができた。愛知県観光協会のサイトにも載せてもらえることになったのだが、そちらは文字数などの制限があるので書き足らないこともある。そんな時は、当店のサイトへ飛んできてもらえば詳しく説明しているので利用していただければと思う。そのためにも、今後は当店のページの内容を深くしていかなくてはと考えている。特に、色付け体験などのイベント情報をもっと発信して名古屋友禅を名古屋市民、愛知県民に広く知ってもらいたいですね。愛知というのは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康を生み出した土地柄から、その時代の衣食住を調べる上では最高の品が揃っていると思うのです。『渋さ』が特長の名古屋友禅は江戸後期の産物。まだ知らないことだらけなので、職人さんの話をよく聞き、徳川美術館等も見学してもっと見識を深めたいと思う。
第559号 2011年8月29日「名古屋友禅 No.2」
PR現代発行の情報誌に『花saku』というのがあり、毎月顧客にお配りしています。このたび、その編集者が『名古屋友禅』の取材で名古屋へ来られるというので同行させていただきました。
以前にも書きましたが、名古屋友禅を広めたいというのが私の願いです。まずは、色々な人とのコネを利用しながら宣伝活動をし、全国に名古屋友禅を知ってもらい、その上で安価で販売できるよう大量注文はできないだろうか?などと考えています。
作品自体良くなくてはいけませんが、着るものだからあまり高額すぎるとたくさんの人に楽しんでもらえません。『見て、着て、持って楽しむ』ものとして、この時代に生き残るためには、良質で安いことが重要なのです。染色方法は京友禅と変わりません。作家は、他人の作品とは違うオリジナリティーに富んだ作品を追求するので、我々商売人とは視点が少しばかり違います。売れてくれるのが一番なのですが・・・。
現代の消費者に喜んで着てもらえる作品ができるといいですネ。
第555号 2011年8月12日「名古屋友禅」
初めて大島紬の振袖を見た。奄美大島では成人式に大島を着て出席されるわけだが、その地域特有の光景は圧巻で楽しい。伝統文化を守る上でも、産地を活性化させるためにも良いことだと思う。祖父母から父母、子へ、そしてまた孫へとその地の特産品をその地の人が着用し、優れた品質・特性・工法を受け継ぐ。これからも続けていってもらいたい。
わが街、名古屋にも名古屋友禅なるものが伝統的工芸品として国の伝産マークの指定を受けている。しかし、京友禅と比べて知名度が低い。せっかくだからHPで少しずつでも宣伝していこうと考えている。いつかお客様に作家の紹介やら現地見学会の案内などできるようになったらいいネ。そんなこと考えてます。
着重ね
第856号 2015年2月3日「着重ね No.2」
今でも田舎に行けば見られるが、日本の家屋はすべて土壁だった。竹を編み、土を混ぜて壁を作った。専門家ではないので、どんな種類の土かは知らないが、二度ほど塗り重ねて乾かした後、最後の上塗りをする。
日本には四季があり、暑かったり寒かったり、湿気の多い時季もあれば、乾燥する時季もある。土壁は、その温度や湿度の調節に役立つのだ。そして、障子紙や襖(ふすま)も、それを助ける役目をした。
昨年、世界文化遺産に和紙が認定された。紙も土壁と同様、日本家屋にはなくてはならない存在だったが、まるでその役目を終えたかのように、現在の建築物に利用されることは少なくなった。
箪笥(たんす)も減り、作り付け家具が多くなった。確かに部屋は広々とするが、裏側では結露が発生する。特に、着物にとって湿気は大敵。カビを防ぐ対策が必要となる。その点、桐箪笥は裏側にも下部にも空間ができ、湿気対策にはとても良い。
さて、日本人は、日本の四季を乗り切るため、建築物と同じように、着物にもいろいろと工夫をして着用してきた。夏はさらっとした麻織物、寒くなるとウール素材に替えた。(これは、綿・ウール・絹が輸入されるようになった四百年くらい前から始まったことだが。)
日本は重ね着文化と言われる。冷暖房のなかった時代は、その季節に対応するべく着る物を替えて生活した。寒ければたくさん着る。暑ければ裸に近い状態で過ごした。現代人の体格とは異なり、昔の人は小柄であったが、機械に頼らない日々の暮らしは、病に強い丈夫な身体を作ったに違いない。
人間は、便利さは手に入れたが、その代わりに弱い身体になってしまった。着重ねの生活に戻そう!・・・なかなかそんなわけにはいかない。時には、そんな生活を体験するのも、身体のためには良いかもしれない。
第660号 2012年9月14日「着重ね」
私の独断と偏見で言わせてもらえば、きもの業界のトップは『永遠の着物バカ人間』であってほしいと願う。
日本の着物文化の歴史を遡(さかのぼ)れば、着物を着用してきた期間は洋服よりもずっと長い。いくら温暖化が進んだといっても、冬がなくなったわけではなく、日本には昔からの四季があり、『着重ね』文化は相変わらず残っていると思う。
確かに現代は、夏はクーラーをかけ、冬は暖房を入れることで、昔ほどの着重ねをする習慣はなくなった。しかし、冬の寒い時に、外出することがあれば、ロングではなくても七分丈のコートを羽織ることはある。暖かい家から車に乗り、暖かい所へ行く、少しの寒い時間しか外にいないからというのなら別だが、普段の生活を見ても、『着重ね』は必ず人々が体験していることだ。着物着用者は、すべて芸能人か有名人か?冬の寒い時でも暖かい所からは出ない人や、夏の暑い日にも外に出ない人が着用するものが着物だろうか?そうではないはずだ。
22年間毎日着物を着用していて気づいたことは、やはり暑い夏には素材を考えて涼しくなる工夫をし、冬の寒い日には重ね着をし、綿入れを着ることで身体を守り着物文化を守る。長年先輩達が行ってきた生活習慣が、温暖化だからといって多少暑い日が続いたくらいで変わるものではないと思う。
毎日着物を着用されている人が着物販売を生業(なりわい)としている人と会話した折に、本当に着物が好きなんだなという印象を抱いていだだけたら『着物バカ』としてはうれしい。毎日着用するには根底に便利を超えた『当たり前の着物慣れ』があるのではないかと思う。
着たくなる日
第952号 2020年7月13日「着物っていいネ」
年末から今年にかけ、HP『正直屋縁』のリニューアルを久しぶりにした。新型コロナウイルス関連で、店の営業時間を短縮したり休業日を増やしたりしたが、それでも時間が空き、毎日HPのチェックをしていた。読み返してみると、説明文や流行など、現状とは異なる古い情報が書いてあったりして、直す箇所の多さに驚いた。IT専門家ではないので、これでよいのかはわからないが、こうして日々HPを更新することにより、何とかアクセス数アップに繋げたいと願う。
流行について、昨年夏ごろから特に考えるようになった。HPの検索順位の高い企業は、全国区の店が多い。資金力でもって色々な広告を出すからアクセス数が上がる。結果、検索トップページはチェーン店ばかりだ。だが、それらの店のHPをチェックしてみると、東京でも大阪でも福岡でも、まったく同じ内容。これが本当の流行か?と疑問を持つ。食べ物でも言葉でも、その地方独特のモノがある。だから、当然、着物もそれぞれ流行があった。例えば、関東では『粋(いき)』であり、関西では『雅(みやび)』であった。それが、その地区その地区の個性であったはずなのに、知らないうちに、HPでも流行が均一化されてしまった。だから、産地で作られる個性あふれる作品が売れなくなってしまったのか?原因は、価格の問題など色々挙げられるが、着物文化を残そうとするなら、個性のある作品をたくさん作り、着てもらうことだ。洋風化の時代とともに着用者も少なくなり、そういう作品を注文する人がいなくなってしまったのが根本的な問題ではある。
『着物って本当にいいネエ』と言われる日が訪れるか?と考えていたら、今日でもそう思える日があることに気が付いた。成人式・卒業式・結婚式・お正月…日本人の儀式や風習の中に、まだ着物は生き続けている。願うなら、その着姿で街の中を少しでも長い距離歩いてもらえたら有難い。たくさんの人に見られることが大事なポイントだ。
第939号 2019年6月26日「着物を楽しむ」
着物業界の現状を、正直屋のブログ、お知らせ、新着情報、facebook などでお知らせしていますが、厳しい話ばかりです。
今や箪笥在庫になっている着物は、金額にしたら何十兆円にもなるとか。そんな箪笥の中に眠っている着物を、本当の価値を知らないまま、二束三文で売ってしまったり、安易に人に譲ってしまったりしている。そんな価値のある着物を譲り受けることの多い着物好きな方もあるようです。
そうかと思えば、amazon や楽天、メルカリなどで自分の寸法に合う安価な着物を探しては、上手にオシャレを楽しんでいる若者もいます。
やはり日本人は、女性の着物姿に憧れや夢を描いているのか?着物姿の女性には大変親切で、道を尋ねても、大抵の人は丁寧に説明してくださる。中には、そこまで連れて行ってくださる人もある。男性でも女性でもそうだから驚かされる。もちろん、身なりだけではなく、話し方や受け答えも含んでのことだろうが、こんなにも対応が違うものかと思う程だ。
日本人の着物姿は、見ていてとても心地良く、人を笑顔にさせるものです。すべての女性が着物好きになれば、昨今のテレビで取り上げられているような嫌な事件も解決するのでは?などと思ったりしてます。
どうせタダ同然の値段で取られるのなら、汚れるまで着て着物姿を楽しんでみたら?外国人旅行者が増えて、彼らは着姿など一切構わずに楽しんでいる。日本人も、もっと気楽に気軽に着用すればよい。これから夏に向かって『ゆかた』のシーズン。まずは安価なゆかたから始めてみては?
着用については心配ご無用!正直屋のLINE登録をすれば、無料で着せてもらえるよ!予約してからご来店ください。ただし、鶴舞本店は木曜日、和合店は第2・第3水曜日と木曜日が定休日なのでご注意を。
鶴舞本店 0120-39-0529(木曜定休日)
和合店 0120-52983-1(第2・第3水曜/木曜定休日)
第880号 2015年9月18日「着たくなる日 No.6」
昔は、決まったお祝い事に対して、一年も前から着物の準備を始めたものだ。まずは生地を選び、着る時期に合わせた柄を考案し描かせた。
時が過ぎ、着物がよく売れた頃は、染め上がった着物の中から選ぶ時代へと変化した。いろいろなブランドや作家が現れ、競い合って作った。
これからは、アメリカ風に変化した時代となりつつある。ワンナイトパーティードレスとか言うそうで、一晩しか着ないから安価なものでいいらしい。買うまでもなく、レンタルかな?着用する品にそれほどの愛着を持たないようだ。
着物は、何度でも作り直せるように、直線縫いで仕立てる。単衣(ひとえ)、袷(あわせ)、綿入れ、すべて同じ生地で、奥さんが一晩で縫った。大人は3丈(じょう)、子供は1丈5尺(しゃく)、幼児は1丈、すべて同じ生地でお下がりをして作り直した。着物は、それほど大切に利用し扱われたのだ。四季のある日本だからこその使い方だった。
それだから、生地が織り上がり、図案が出来上がり、染め上がり、仕立て上がりというように時間をかけて自分の着る着物が出来上がっていく過程を見ているのもひとつの楽しみだった。着物だけではなく、帯や小物類すべて揃えるまでのたくさんの楽しみもある。この着物を着た時の自分の姿を想像してみる。だから『着たくなる』のかな?
これからの日本人に、『着物を着たくなる日』は訪れるのだろうか?着物の楽しみ方を教え、味わってもらう。そんな話が出来る語り部たちが育ってくれるといいですね。
第877号 2015年8月19日「着たくなる日 No.5」
『着物業界にいながら、商品の変化に気づかないとは、我ながら情けない』と、この夏、気づかされた。
浴衣が若者に人気で、よく売れているというのは好ましいことなのだが、そのほとんどは安価なプレタ(仕立て上がり)浴衣。柄は、ほとんどが花柄。トンボ文様もあるにはあるが、どの商品を見ても、よく似た柄ばかり。昔ながらの粋な伝統柄で染め上げられた品など、めったに見かけない。染も※注染(ちゅうせん)ではなくプリントだ。
私が、この業界に足を踏み入れた頃、まずは伝統柄を覚えることから始めた。柄の種類を覚え、接客時に、その商品の柄を説明できることに商売人としての誇りのようなものを感じた。先輩から教えてもらったり、業界紙を購入しては、染め方や柄の名前を覚えたものだ。
『青海波(せいがいは)』という文様は、重なり合った半円で波を表している。波は永遠に続くもの。『穏やかな生活が、ずっと続くようにとの願いが込められているので、子孫繁栄の意味も含めて、とても縁起の良い柄なんですよ。』と勧めたりもした。その柄の『いわれ』なども説明することが商いの基本と考え、必死に覚えた。
それは、現在でも通じることだと思うのだが、従業員の接客を見ていても、そんな会話は出てこない。『カッコいいですね。』とか、『いい色ですね。』くらいだ。残念ながら、柄や生地、染め方の勉強をしてこなかったから説明できないのだ。我々が教えてこなかっのも悪いのだろう。
伝統柄が消えていく。もっと我々年代の者たちが、若者が興味を持てるよう教えていかなくてはいけない。それが、『着たくなる日』に繋がっていくのではないだろうか?そう感じた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※注染(ちゅうせん)
染色する場所の周囲に特殊な糊で土手を作り、その中に染料を注ぎ込む技法。
何枚も重ねた生地の上から染料を注いで染めることから、このように呼ばれるようになった。
第876号 2015年8月16日「着たくなる日 No.4」
5月から書店販売されている振袖BOOK『着たくなる日』を、当店では、8月初めから資料請求のお客様に送り始めました。一度、書店等でご覧ください。ご希望の方には差し上げています。フリーダイヤル 0120-39-0529 にご請求くださればお送りします。商品は、パソコンやスマホでもご覧いただけます。『振袖正直屋』で検索してください。
掲載商品も、染め上がったものから順次入荷しております。一地区一枚の販売なので、早い者順です。気になる商品がありましたら、お早めにお問い合わせください。特に、人気のマギー柄は、早目の試着をご検討ください。
夏休みは、第2回目の振袖チェック期間と言われています。振袖取扱店から、たくさんのDMが届いていると思います。振袖を見に行く前に、まずはそれらのカタログを入念にチェックし、色、柄のほか、値段、特典、サービス内容をよく研究してください。
その次に、気軽に試着できる店を探しましょう。ベテランは、早くてきれいに着装しますし、着付のポイントもよく知っています。夏の時季なら、浴衣の着付をお願いして、その店の着装技術をテストしてみるというのも一案かな?着物好きは、着物のことをよく知っています。体形によって少しずつ異なる着装のポイントを、そんなベテランから聞き出しておくと、とても参考になるでしょう。
最初に、色、柄、予算を決めてから振袖選びをしましょう。迷いだしたら、一度白紙に戻して、自分の好みをチェックし直してみること。あれも着たい、これも着たいと思っても、当日着られるのは1枚だけなのですから。
第874号 2015年7月29日「着たくなる日 No.3」
童話が好きで、童話づくりの店を開いた人。蕎麦(そば)好きが高じて、蕎麦打ちするうちに店まで開いてしまった人。豆腐屋に生まれ、豆腐のフルコース料理を考案した人。その店は、コーヒーまでも大豆を原料としたものを提供してくれる。共通するのは、『好き』という言葉。
我々は、自分の仕事に愛着を持っているだろうか?彼らは、福を持って日々対応しているから、自然と笑みが生まれ福顔になる。オギャーと生まれた時から死ぬまで、ずっと福顔の人なんているはずはない。そのような顔でいられるよう努力した結果だろう。好きな仕事を持ち、自由に楽しんで日々暮らす。そんな生活が出来ればと願う。
仲の良い夫婦は、空気のような存在の間柄と言われる。文句や注意をされてもケンカにならない。腹が立たない間柄。私は、そんな人間にはなれない。日々の生活の中で、あきらめの境地かなぁ・・・。
『着たくなる日』-そんな日があるだろうか?私は、毎日着物を着てはいるものの、休日には着ない。仕事だから着ているのか?当たり前のようにしていることを、ふと立ち止まって考えると、『なぜ?』という疑問が湧いてくる。『毎日着物を着なくてはいけない!』と誰かから強制されたわけではない。いつの間にか、そうすることが習慣になってしまっただけのことだ。着物屋なのだから、着物を着ていないよりは着ていた方がいいとは思う。
着物を着たくなるということは、夫婦の関係とよく似ている。言えてることは、難しいということ。
第869号 2015年6月22日「着たくなる日 No.2」
我々着物業界の人間は、『着たくなる』ような商いをしているだろうか?経営者自身が着物に愛着を抱き、語り、商いをしているだろうか?商いは上手でも、その後のケアをまったくしない振袖専門店が多い。シミ抜きのこと、ヘア・メイク・着付のこと。
直線縫いの着物を曲線の体に綺麗に纏(まと)わせるには、まずは着慣れることが一番です。何度も着用しなくては、綺麗に着られるはずはないのです。
しかし、現代人は、着慣れるための練習などしません。だから、綺麗に着ることができないのは仕方のないことなのです。着崩れしないように補整具を用いて縛り付けるのです。苦しい思いをしたことだけが思い出となる成人式になってしまうのか?着付の上手な人に当たれば、そんな辛い一日を過ごすことなく過ごせるでしょう。そんな人も多くはいますが・・・。
成人式の前に一度でもいいから着用してみてください。歩き方や動きが洋服とは違うのだということが実感できます。それも、ただ着たり脱いだりするだけの練習ではなく、着装した状態でお茶をしたり、食事をしたり、散歩をしたりすればもっと着物に慣れてきます。そういう体験をしているうちに、着物を好きになり、『着たくなる』という気持ちになってくれればうれしいです。
『着たくなる日』のタイトルは奥が深い。しかし、日本人ならそんな体験をしながら着物を着用してほしいものです。理解できるようになってほしい。
第868号 2015年6月5日「着たくなる日」
数年前から取り組んでみたいと思っていた『着たくなる日』という振袖ブックを、ようやく今年取り扱うことになった。若い人に人気のMAGGYというモデルさんがメインに載っている豪華本だ。着物に興味のある人なら、いきなり捨てたりはしないだろう。
そのことについては次の機会に書くとして、タイトルの『着たくなる日』、このタイトルがとても気になるのだ。いったい誰がこんなタイトルをつけたのだろう?十数年前に名づけられたそうだが、おもしろい!飽きない!忘れない!何といっても、これを振袖ブックにつけたというところがいい。
未婚女性が、初めて正装として着用するのが振袖だ。もちろん、それまでの成長過程で、七五三や十三参りで着用した着物もあるだろうが、それらは大抵ご両親や祖父母が選んで着せてきた。だから、振袖が自分自身で選ぶ最初の着物となる人が多い。特に現代は、その傾向が強い。
成人というひとつの節目のセレモニーに、自らがセレクトした着物を着る。それが振袖なのだ。これはまさしく『着たくなる日』に着用したい私の振袖ではないか。憧れの着物だ。
自分が大人になった時、どんな女性になっているか?なっていたいか?誰もが夢見た理想の姿があると思う。小さな子供に『大人になったらどんな人になりたい?』と聞いた時、ワクワクしながら笑顔で答える。そんな子供たちの声が聞こえてきそうなタイトルだ。
ワクワク、ドキドキしながら振袖を選んで着用してほしい。そして、何度も長時間着てほしい。
着物を好きになってほしい。何度読み返しても飽きない童話のように。
●ゆかた・小紋・紬のおしゃれ着の購入
●シミヌキ・洗い張り・丸洗い・寸法直しの悉皆(しっかい)
●着付・ヘアー・メイク・写真撮影は店内で(要予約)
すべて正直屋におまかせください。
お問い合わせ
鶴舞本店 0120-39-0529 和合店 0120-52983-1